しかし、ドナーを待ちながら死と向き合い、他者の犠牲によって生かされている彼は、命の重みというものを痛感している。だからこそ、困難な状況のなかで救いを求め、意外な行動に出る。ペンは、彼の監督作や『ミスティック・リバー』で、簡単には答を出せないこのようなテーマから、それぞれに異なる結末を導きだしてきたが、ここにはそれらと違うもうひとつの答がある。
ベニチオ・デル・トロは、『トラフィック』の演技で、アカデミー賞助演男優賞を筆頭に映画賞を総なめにし、スターの仲間入りを果たした。しかし、大きな成功を収めても、彼の方向性は以前とまったく変わっていない。彼は、強烈な作家性を持つ監督やインディーズの精神に忠実な監督、エッジのある新鋭監督と積極的に組み、独自の地位を築き上げている。
デル・トロの演技は、そんな一貫した方向性のなかで変化しつつある。最近の作品では、明らかにキャラクターの複雑な内面をより深く掘り下げようとしている。たとえば、ショーン・ペンが監督した『プレッジ』で演じた知的障害のあるインディアン。その出番は短いが、意味もわからないまま警官に自白を強要され、激しく動揺し、追い詰められる男の姿は異彩を放っている。それから、ウィリアム・フリードキン監督の『ハンテッド』も見逃せない。彼が演じる特殊部隊員は、戦場の悪夢に囚われ、冷酷な殺人機械となる。フリードキンが描きつづけるのは、法や善悪の基準では割り切れない内面の闇の領域だが、彼はその闇に潜む狂気を見事に体現している。
この『21グラム』では、そんな内面へのこだわりがいっそう際立っている。ジャックは、教養もなく、不器用で、思い込みの激しい男だ。前科者の彼は、信仰に救いを見出し、神にすべてを捧げる。しかし、神からの贈りものであるはずのトラックで事故を起こし、地獄に突き落とされる。地獄は彼の頭のなかにあり、妻や牧師の言葉は届かない。もはや自分で罪を贖う以外に出口はない。デル・トロは、そんな内なる牢獄に囚われた男の心理に肉迫し、恐ろしくリアルに表現している。
ナオミ・ワッツのターニングポイントになったのは、いうまでもなくデイヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』だ。ロスとハリウッドの現実と幻想が女の二面性と絡み合い、迷宮を作り上げるこの映画の仕掛けは、ワッツの演技力の証明にもなっていた。彼女は、ベティとダイアンという二人のヒロインを演じている上に、ベティのドラマには演技をめぐってさらにひねりが加えられている。女優に憧れ、夢の都にやって来たベティは、世間知らずで、一点の翳りもない無垢な娘だが、リハーサルに入ると別人になったように男を惑わす悪女に変貌し、それなりの人生経験がなければできないような迫真の演技を披露する。一方、後半のダイアンのドラマには、マスターベーションや濃厚なレズシーンが盛り込まれ、彼女は激しい欲望と嫉妬の狭間で自分を見失っていく。
確かに『マルホランド・ドライブ』のワッツは強い印象を残すが、彼女の女優としての本質や向かうべき方向はそれとは違うところにあるように思える。ワッツの魅力は、まずなによりも普通の女性を自然体で演じられるところにある。演技力が前面に出るのではなく、等身大の人間の生身の痛みや葛藤がしっかりと伝わってくるのだ。
ニルス・ミュラー監督の『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』やこの『21グラム』には、そんな女優ワッツの本質や方向性が鮮明にされている。『21グラム』で彼女が演じる主婦クリスティーナの内面は、状況とともに変化していく。夫と娘たちの死という現実に直面したときの動揺、加害者を訴えることになど何の意味も見出せない喪失感、ドラッグに逃避せずにはいられない脆さ、ポールの正体を知ったときの屈辱と怒り、彼を復讐へと引きずり込む剥きだしのエゴ、モーテルでジャックに襲いかかるときの憎しみ、傷ついたポールを病院に運ぶ車のなかでわき上がる愛情。激しく揺れ動くクリスティーナの感情は、彼女を支配する絶望を見事に浮き彫りにしていく。ワッツは、ペンとデル・トロという強者相手に一歩も引けを取らず、まさに対等に渡り合っている。
しかし、監督であるイニャリトゥのスタイルには、『アモーレス・ペロス』と同じように抵抗を覚える。彼は、撮影の現場では、ジョン・カサヴェテスのように、生々しい感情や空気を引き出そうとしている。ところが一方で、彼のヴィジョンには、その流れを切り刻み、再構成するという前提がある。
かつてカサヴェテスは、作品の編集について以下のように語っていた。
「(編集は)大嫌いだ。ものすごい恐怖におそわれるんだ。多くの感情がそこから失われてしまうんだ」
「観客に毎日の撮影の様子を観せて、役者たちの才能や感情を披露できたらなって思うよ。それは完成した映画よりずっと素晴らしく、観やすくて、完成した物語より観る価値があるものだろう」
イニャリトゥが編集によって失うものは少なくないが、それでも時間軸を操作することによってそれ以上のものを獲得しているといえるのか。筆者にはやはり疑問が残る。 |