1935年生まれのウィリアム・フリードキンと1960年生まれのショーン・ペンは、まったく違う世代に属しているが、ふたりの監督が切り開く世界には興味深い共通点がある。彼らは、追う者と追われる者、裁く者と裁かれる者のドラマを好んで取り上げる。しかし、どちらの監督も、そんな題材からアクションやサスペンスを生み出そうとするわけではない。
ペンの『インディアン・ランナー』でインディアンの鹿狩りが、『プレッジ』で退職した刑事の道楽である釣りが強調されているのは偶然ではない。フリードキンの作品で、イラクの遺跡やアフリカの美術品、古代宗教、チャイナタウンの漢字など、異教的でプリミティブな要素やイメージが散りばめられているのも偶然ではない。彼らは、人間の本能や衝動、あるいは狂気を掘り下げ、法という制度や善悪の基準では割り切れない世界を切り開こうとする。
『英雄の条件』につづくフリードキンの新作『ハンテッド』は、99年のコソボの戦場から始まる。特殊部隊の精鋭ハラムは、冷酷な虐殺が行われる戦場で、セルビア人指揮官暗殺の任務を遂行し、銀星賞を与えられる。
しかし、戦場の悪夢に囚われた彼は、連続殺人事件を引き起こすようになる。並外れた闘争本能と徹底的に叩き込まれた戦術によって人間を狩るハラムに手も足も出ないFBIは、わずかな痕跡から標的を追い詰める名うての“トラッカー(追跡者)”L.T.に協力を求める。そのL.T.は、かつてハラムを鍛え上げた教官だった。
この映画の冒頭では、アブラハムとイサクをモチーフにしたボブ・ディランの<追憶のハイウェイ61>の歌詞が引用され、追う者と追われる者、狩る者と狩られる者の死闘から異教的な世界が切り開かれていく。
ハラムとL.T.は、銃を一切使うことなく、ナイフと格闘技のカリだけで対決する。FBI捜査官が撃ちまくる銃は、ハラムにはほとんど無力に等しい。それは、FBI捜査官が殺人犯を追う世界とハラムが存在する世界のあいだに深い溝があることを示唆する。ハラムとL.T.は、ナイフを失えば、それぞれに屑鉄や石からそれを作り上げ、戦いつづける。この銃とナイフのコントラストからは、彼らだけが共有する異教的な領域が浮かび上がってくるのだ。
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