ショーン・ペン監督の新作『プレッジ』は、孤高という表現が相応しい作品だ。もともとペンには、ただ監督を志すのではなく、監督として孤高の道を歩むことを自らに課していたところが間違いなくある。
ペンは監督デビューを飾る頃のあるインタビューで、「テレンス・マリックがもう1本撮ってくれたらいいなと思う」と語っていた。そんな彼の初監督作品『インディアン・ランナー』は、マリックと浅からぬ縁がある。この物語は、ブルース・スプリングスティーンのアルバム『ネブラスカ』に収められた<ハイウェイ・パトロールマン>がベースになっているが、スプリングスティーンが『ネブラスカ』の世界を生みだすうえで、重要なヒントとなったのがマリックの『地獄の逃避行』だった。
そして、監督第2作の『クロッシング・ガード』では、今度はカサヴェテスの『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』を参照する。この2本の映画は、主人公が殺しを余儀なくされるドラマ、ストリップ・クラブの空気やストリッパーとの関係、電話やバスを使ったディテールなど、一見しただけで繋がりがあることがわかる。
もちろんこれらは単なるオマージュではない。ペンが追求するテーマは、『地獄の逃避行』や『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』に通じている。彼はまず何よりも、法を犯すことによる罪と罰と、制度を越えた根源的な罪と罰、あるいは野生の摂理や掟との狭間で苦悩する人間の姿を冷徹に見据える。
『インディアン・ランナー』で、警官の兄は追跡中の犯罪者を正当防衛で射殺し、ヴェトナム帰りの弟は、インディアンの使者の幻影に憑かれ、超人となってバーの店主を撲殺する。『クロッシング・ガード』で、娘の命を奪った男は懲役に服し、法に基づく罪は償ったが、娘の父親との間では裁きはまだ終わっていない。
『プレッジ』もまた前作と同じように、少女の無惨な死が物語の発端となる。しかし、主人公はその加害者でも被害者の遺族でもない。定年を6時間後に控え、少女の死を両親に伝える役を引き受けた刑事ジェリーは、母親から被害者が作った十字架を突きつけられ、犯人を捜しだすことを誓う。退職した彼は憑かれたように犯人を追いつづける。
この主人公は、あくまで法の正義と信念に基づいて行動しているかに見えるが、確実に制度を逸脱した世界に囚われていく。彼には退職を受け入れたくないという思いがあり、誓いは逃避ともなる。誤認逮捕が原因で自殺したインディアンへの罪悪感もある。また犯人捜査を無意識のうちに、退職後の唯一の道楽であった釣りの刺激と混同しているところもある。
そんな自分の生活であって自分の生活でない状態のまま、奇妙な成り行きで幸薄い母娘と生活をともにし、周囲に娘を狙う犯人の影がちらつきだしたとき、誓いは現実と妄想のはざまで歪み、彼は困難な二者択一を迫られることになる。
そこで注目しなければならないのが、ペンの世界を象徴する狩猟のイメージだ。たとえば、『インディアン・ランナー』の導入部では、まず鹿の習性を利用したインディアンの狩りにまつわるプロローグがあり、それから逃走する車をパトカーが追跡するシーンが始まる。そのパトカーを運転する兄は一瞬、「狩猟禁止」の立て札を目にする。
言うまでもなく犯罪者を追うことは狩猟ではないが、ペンは、罪と罰をめぐる主題を常に狩る者と狩られる者との関係からとらえ、人間の本性と非情な社会の軋轢を浮き彫りにしようとする。 |