ショーン・ペンの第一回監督作品『インディアン・ランナー』は、バッド・ボーイの内省的で繊細な素顔と監督/脚本家としての非凡な才能を鮮烈に印象づけた。待望の第二作『クロッシング・ガード』も期待を裏切らない実に見応えのある作品になっている。
ペンがジョン・カサヴェテスを敬愛していることはよく知られているが、この第二作では様々な意味でカサヴェテスに近づきつつあるように見える。それは意識してというよりも、自分の映画に対する想いがおのずと彼をそういう方向へと導いているといった方が正しいだろう。
ペンは監督デビューを飾った後、監督に専念すると語っていた時期があった。しかしこの第二作を作るために、デ・パルマの誘いに応じて『カリートの道』に出演し、自分の作品を完成させた。そんな姿勢を単純にカサヴェテスにダブらせるのは、『デッドマン・ウォーキング』のあの俳優ペンには失礼ではあるが、やはり監督業や自分の映画に対する強い想いを感じさせるエピソードといえる。
また、前作に続く出演でペン映画の顔となりつつあるデイヴィッド・モースやペンの私生活のパートナーであるロビン・ライト、そして注目のジャック・ニコルソンやアンジェリカ・ヒューストンなどがファミリーといえるような濃密な空気を作り上げているのも印象深い。
この映画に描かれるのは、ひとりの少女の死に対する決着を科せられたふたりの男の物語だ。ジョンは事故で少女を死に追いやり、6年の刑期を終えようとしている。もうひとりの男フレディは、自分の娘を殺された悲劇から立ち直ることができずに酒と女に溺れ、毎日カレンダーに×印を刻みながら、ジョンを自分の手で殺す日を待ち望んでいる。出所したジョンに再会したフレディは彼に三日の猶予を与え、映画は決着に至る男たちの姿を浮き彫りにしていく。
ペンは劇的な要素を排除し、前作と同様に鋭い眼差しで彼らの日常の断片を積み上げていく。ジョンは両親や友人たちにあたたかく迎えられ、仕事につき、フレディはストリップ・クラブに入りびたり、女たちと夜の街に繰りだす。しかしながら、そんな日常からは囚われた男たちの孤独が滲みだしてくる。
この映画の冒頭には、監獄のなかで鉄格子に自分の額を激しく打ちつけるジョンと舞台のストリッパーを見つめるフレディの姿が象徴的に映しだされるが、自由を手にしたジョンは周囲の愛情に触れれば触れるほど罪悪感が強まり、監獄と同じように心のうちで自分を責め苛み、一方、別れた妻の理解を得られないフレディは救いのない欲望の牢獄に囚われていく。
特にフレディについては言葉にならない微妙な感情の揺れが実に細やかにとらえられている。筆者が印象的だったのは、決着をつけるためにジョンの家に向かったフレディが、飲酒と拳銃所持で警官に追われるはめになり、とある民家の子供部屋に逃げ込む場面である。 |