『アモーレス・ペロス』、『21グラム』、『バベル』を生み出した監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと脚本家ギジェルモ・アリアガのコンビに対する評価は高い。彼らの作品では、接点を持つ複数の物語が、断片化され、時間軸が操作され、再構築されている。そうした構成には確かに新鮮なものを感じるし、映像にも力があると思う。だが、筆者はこの3本の映画をもうひとつ好きになれない。問題は、映像をどう切り、どう繋ぐかにある。
ジョン・カサヴェテスは、レイ・カーニーが編集した『ジョン・カサヴェテスは語る』のなかで、編集についてこのように語っている。
「(編集は)大嫌いだ。ものすごい恐怖におそわれるんだ。ラッシュってのは、シーンからシーンへフィルムをつないだだけの長ったらしいものだけど、役者たちの演技を観れるし、物語もある。それが急に滑らかで見栄えやテンポのいいものになってしまう。でも多くの感情がそこから失われてしまうんだ。時間をかけて仲間たちが楽しんで作りあげた感情がね」
「観客に毎日の撮影の様子を観せて、役者たちの才能や感情を披露できたらなって思うよ。それは完成した映画よりずっと素晴らしく、観やすくて、完成した物語より観る価値のあるものだろう」
イニャリトゥ監督は、撮影の現場では俳優から多くの感情を引き出そうとする点で、カサヴェテスに通じる。しかしそれが、映像を切り刻むことを前提にしたスタイルであることが、筆者には不思議でならない。ふたつの要素は果たして両立しているのだろうか。たとえば、『21グラム』では、ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツから生々しい感情、鬼気迫る演技が引き出されている。しかし、その映像を切り刻み、時間軸を操作して再構築した作品が、時間軸に沿った作品を超えているのかは疑問だ。
では、脚本家のアリアガが監督にも進出した『あの日、欲望の大地で』はどうか。この映画でも、4人の女性たちをめぐって、接点を持つ複数の物語が、断片化され、時間軸が操作され、再構築されている。
■シルビアは、ポートランドにある高級レストランでマネージャーを務めている。店では仕事ができ、信頼されるマネージャーだが、ひとたび職場を離れると行きずりの男に身をまかせるような日々を送っている。 |