ナオミ・ワッツ
Naomi Watts


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(初出:「English Journal」2009年2月号)

「普通の女性」役で際立つ才能

■■迷い、悩んだ、下積み時代■■

 1968年イギリス生まれのナオミ・ワッツは、母親がアマチュア演劇に参加していたこともあり、子供の頃から演技に興味を持ち、女優を目指すようになった。だが、そんな彼女には茨の道が待ち受けていた。

14歳の時に家族とともにオーストラリアのシドニーに移住したワッツは、演劇学校に通い、本格的に演技を学びだす。その頃に、オーディションで出会ったのが、ニコール・キッドマンだった。ふたりは親友になるが、その後はまったく対照的な道を歩むことになる。

 オーストラリア映画界で脚光を浴びたキッドマンは、ハリウッドに進出して成功を収めていく。ワッツは、スクリーンデビューはしたものの、才能に迷いを覚え、日本でモデル業に挑戦して挫折し、シドニーに戻ってファッション雑誌の編集アシスタントになる。

 しかし女優の夢が諦めきれず、茨の道を歩みだす。オーストラリアとアメリカのショービジネスの世界を往復し、オーディションに通い、歴史もの、SF、インディペンデント映画、テレビシリーズなどで様々な役をこなし、辛抱強く機会が訪れるのを待ち続けるのだ。

■■人生を変えた「1本の映画」■■

 そんなワッツにとって転機となったのが、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』(01)だ。紆余曲折を経て完成した映画は、ある意味でワッツのキャリアを象徴している。

 ワッツには、レギュラー出演していたテレビシリーズを打ち切られることが一度ならずあった。この作品も当初、ABCのテレビシリーズとして企画されたが、パイロット版を観たABC側がその過激さに恐れをなし、企画を中止してしまった。しかしリンチは諦めず、プロデューサーと製作費を得て、新たな構想のもとに追加シーンを撮影し、再編集して、劇場用映画として甦らせた。


   《データ》
2001 『マルホランド・ドライブ』

2002 『ザ・リング』

2003 『21グラム』

2004 『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』

2007 『イースタン・プロミス』
『ファニーゲームU.S.A.』

(注:これは厳密なフィルモグラフィーではなく、本論で言及した作品のリストです)
 
 

 張り巡らされた伏線が迷宮を作り上げていくこの映画で、ワッツは、ダイアンと、彼女の願望が投影された想像の世界に存在するベティの二役をこなし、ひとりの女のふたつの顔を表現している。挫折を味わい、精神的に追い詰められている女優のダイアンは、激しく憔悴し、女優に憧れてロスに出てきたベティは、純粋無垢な輝きを放っている。しかもベティは、オーディションで男を惑わす悪女に豹変してみせる。そんなインパクトのある演技には、下積み時代に培ってきたものが凝縮されている。

■■「生身のヒロイン」を演じきる■■

 突破口を見出したワッツは、和製ホラーをハリウッドでリメイクした『ザ・リング』(02)や、アカデミー主演女優賞にノミネートされた『21グラム』(03)で、女優としての方向性を明確にしていく。彼女の魅力は、まずなによりも普通の女性を自然体で演じられるところにある。演技力が前面に出るのではなく、生身の人間の痛みや葛藤が伝わってくるのだ。

 シングルマザーのジャーナリストを演じた『ザ・リング』では、オリジナルよりも強調された家族の絆を体現している。夫と娘たちを突然亡くした主婦を演じた『21グラム』では、状況の変化とともに彼女のなかから、動揺、深い喪失感、脆さ、屈辱、憎しみといった様々な感情が滲みだす。

 その後のワッツは、現実や人間を独自の視点で鋭く掘り下げていく監督と積極的に仕事をしている。ニルス・ミュラーの『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』(04)では、アメリカの夢に囚われ、自分を見失っていく夫と別居し、独力で子供を育てる妻を、デヴィッド・クローネンバーグの『イースタン・プロミス』(07)では、気づかぬうちにロシアン・マフィアと人身売買の危険な世界に踏み込んでいる助産師を、正月映画として公開されるミヒャエル・ハネケの『ファニーゲームU.S.A.』(07)では、夫と息子とともに冷酷で残忍なゲームの犠牲になる主婦を演じている。

 この監督たちがワッツに期待していたのは、もちろんスターのオーラではない。どの作品でも、困難な状況に直面した生身のヒロインの存在感が際立っているのだ。


(upload:2009/12/15)
 
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