グローリー―明日への行進―
Selma


2014年/アメリカ/カラー/128分/スコープサイズ/5.1chデジタル
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(初出:『グローリー―明日への行進―』劇場用パンフレット)

 

 

歴史をどう描くのか
1965年アラバマ州、セルマ

 

[ストーリー] 1964年ノーベル平和賞を受賞したキング牧師は、翌65年、リンドン・B・ジョンソン大統領に黒人の選挙権を保障する法律を求めて拒絶される。そこで彼は、黒人差別が最も根深いアメリカ南部アラバマ州のセルマを次の戦いの地と決める。

 キング牧師の作戦は非暴力、ひらすらデモ行進と交渉だったが、アラバマ州知事のウォレスは、人種隔離政策こそが理想だと堂々と宣言して行進を禁止する。キング牧師を信頼する同志525人は、セルマから州都モンゴメリーまで80キロのデモ行進を始めるが、そこに待ち構えていたのは白人の州警察と民兵隊だった。次々と黒人たちが殴り倒されていくニュース映像が全国に流れ、テレビの前の7000万人が衝撃を受ける。[プレス参照]

 1972年生まれの黒人女性監督エヴァ・デュヴァネイの新作です。劇映画としては、『アイ・ウィル・フォロー(原題)/I Will Follow』(10)、『ミドル・オブ・ノーウェア(原題)/Middle of Nowhere』(12)につづく第3作となります。

 キング牧師を『ラスト・キング・オブ・スコットランド』(06)、『ペーパーボーイ 真夏の引力』(12)、『大統領の執事の涙』(13)、そしてデュヴァネイ作品としては『ミドル・オブ・ノーウェア(原題)』につづく出演となるデヴィッド・オイェロウォ、妻コレッタを『アイ ウォント ユー』(98)、『お家をさがそう』(09)のカーメン・イジョゴ、ジョンソン大統領を『イン・ザ・ベッドルーム』(01)、『フィクサー』(07)、『パーフェクト・プラン』(13)のトム・ウィルキンソン、ウォーレス州知事を『リトル・オデッサ』(94)、『夢の旅路』(97)、『コッポラの胡蝶の夢』(07)、『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(14)のティム・ロスが演じています。

[以下、本作のレビューになります]

 エヴァ・デュヴァネイ監督の『グローリー/明日への行進』では、キング牧師を主人公に歴史の分岐点となった事件がリアルに描き出される。しかし、それを単に過去の出来事としてとらえるのではなく、現在と結びつけてみることによって、この映画の世界はより興味深いものになる。


◆スタッフ◆
 
監督/製作総指揮   エヴァ・デュヴァネイ
Ava DuVernay
脚本 ポール・ウェブ
Paul Webb
撮影 ブラッドフォード・ヤング
Bradford Young
編集 スペンサー・アベリック
Spencer Averick
 
◆キャスト◆
 
マーティン・ルーサー・キング・Jr.   デヴィッド・オイェロウォ
David Oyelowo
リンドン・B・ジョンソン トム・ウィルキンソン
Tom Wilkinson
フレッド・グレイ キューバ・グッディング・Jr.
Cuba Gooding Jr.
コレッタ・スコット・キング カーメン・イジョゴ
Carmen Ejogo
アメリア・ボイントン ロレイン・トゥーサント
Lorraine Toussaint
ジョージ・ウォーレス州知事 ティム・ロス
Tim Roth
アニー・リー・クーパー オプラ・ウィンフリー
Oprah Winfrey
ダイアン・ナッシュ テッサ・トンプソン
Tessa Thompson
ジミー・リー・ジャクソン キース・スタンフィールド
Keith Stanfield
-
(配給:ギャガ)
 

 現在のアメリカでは、白人警察官が公務中に黒人男性を死亡させる事件が相次ぎ、大きな問題になっている。昨年の7月にはニューヨークのスタテン島で、43歳のエリック・ガーナーが複数の警官に拘束された際に首を絞められて窒息死し、8月にはミズーリ州ファーガソンで、丸腰の18歳のマイケル・ブラウンが警官に射殺された。今年の4月にはメリーランド州ボルティモアで、25歳のフレディ・グレイが逮捕された際に脊髄を損傷し、拘留中に死亡した。こうした事件は司法制度の問題点も浮き彫りにし、各地で抗議デモが巻き起こり、初の黒人女性司法長官が誕生することにもなった。

 さらにもうひとつ、ここで注目したい事件がある。今年はこの映画に描かれる「血の日曜日」事件から50年という節目の年にあたり、事件が起こった3月7日にその舞台となった橋のたもとで式典が開かれ、オバマ大統領も演説し、翌8日には約7万人が参加したといわれる行進が行なわれた。しかし時期を同じくしてそんな行事に水を差す事件が発覚した。南部のオクラホマ大学で、学生団体の白人メンバーが黒人を屈辱する発言をして盛り上がる動画が公になり、反発した学生たちが学内で抗議を行なった。

 そんな現実を踏まえるなら、この映画の題材が現在と深く結びついていることがわかるだろう。そこで重要になるのが、歴史をどうとらえ、描くかということだ。ジャーナリストのマーシャル・フレイディはキング牧師の評伝のなかで、彼の偉業を称えて式典が開かれ、学校や通りに彼にちなんだ名前が付けられ、彼の誕生日が国民の祝日になるような「大衆的な美化作用」の弊害について以下のように書いている。

「しかし、そうなる過程で、当時モントゴメリーからメンフィスに至るまでの彼の道のりが実はどんなにあやうく、曲折にみちた、不確実なものであったかが不明確になってしまい、ついには忘れられていった。それだけでなく、彼自身の人となりに関しても、本当は気が遠くなるほど複雑な人間であったのに抽象化され、実像にうやうやしく薄板をかぶせた実体感のない彫像のようになってしまった。ある人物をあがめるということは大体においてその人を空洞にするに等しい」

 この映画は、その忘れられていったものやキング牧師の実像を取り戻そうとする。たとえば、キング牧師と同志たちには、ドラマを生み、メディアの注目を集めるという戦略があったようにも見えるが、それは厳密には戦略とはいいがたい。なぜなら南部では黒人は少数派で、多数派に対抗するためには、地元以外の国民の良心に訴えかけて、ホワイトハウスを動かす以外に方法がなかったからだ。また、セルマの学生非暴力委員会の姿勢が物語るように、キング牧師は同胞からも完全に信頼されているわけでもなかった。さらに、キング牧師自身も内面に葛藤を抱えていた。FBIが盗聴し、脅迫に使われるテープの中身が示唆するように、彼は妻以外の女性と頻繁に関係を持っていた。

 歴史はひとりのカリスマの力で動いたわけではない。そこにはまさにあやうい綱渡りのようなドラマがある。妻コレッタの理解や同志の支え、同胞たちの尊い犠牲がなければ、キング牧師が信念を貫くことはできなかっただろう。この映画は、私たちに歴史についてあらためて考えさせる。大衆的な美化作用によって骨抜きにされた歴史は効力を失う。そして、本当に世界を変えたものが何なのかを理解したとき歴史は人々の血や肉となり、未来を切り拓くための土台になる。

《参照/引用文献》
『マーティン・ルーサー・キング』 マーシャル・フレイディ●
福田敬子訳(岩波書店、2004年)

(upload:2016/03/12)
 
 
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