黒人たちが暮らす地域で殺人事件が起こっても、短い記事にまとめるだけで片づけ、裕福な白人の地域で起これば、被害者のことなどを詳しく調査しなければならない。白人の編集者は、彼が書いた記事に無断で手を加える。地方の町に取材に行けば、保守的な白人の保安官などから、「二度とこの町に来るな」と脅迫される。黒人解放の運動家の会見に出席すれば、社名を告げたとたんに、衆目のなかで、白人に迎合するアンクルトム呼ばわりされる。
一方、彼が職場で出会う黒人たちは、みな中流の黒人で、彼らは、「人種差別はもう存在しない、それは言い訳にすぎない」というような意見を堂々と口にする。自己のアイデンティティすら危うくなりかねないそのような状況で、彼は黒人が経営する小さな新聞社に移ることを真剣に考えるが、そうすれば収入が激減し、すでに養わなければならない家族がいる立場では無理があった。
■■家族を引き裂くギャングのホモソーシャルな関係■■
というように、この自伝には、「ワシントン・ポスト」の記者になり、やっとオープンに語ることができるようになった体験の数々が、 400ページを越えるハードカバーに凝縮されている。そんな著者が、環境の変化にかかわりなくずっとこだわり続けているように思えるのが、黒人社会における家族、特に、父親と息子の絆の問題である。
黒人家庭の崩壊は、アメリカですでに大きな社会問題となっているが、父親と子供の絆の問題については、ジョン・シングルトンの『ボーイズ・ン・ザ・フッド』やマティ・リッチの『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』、あるいはヒューズ兄弟の『ポケットいっぱいの涙』といった映画を思い出してもらえば、話が早い。要するに、父親が不在であったり、父親がいても、子供のロールモデルになったり、厳しい社会に出ていくための教育ができない家庭では、親子の絆が希薄になり、子供たちはストリートで生き方と価値観を学び、悲惨な運命をたどることになるということだ。
こうした問題が、このマッコールの自伝では、赤裸々に、また感情的に深く掘り下げられている。マッコールは、ポーツマスにあるブルーカラーの黒人家庭が暮らす郊外住宅地で、義父と母親、ふたりの実兄、異母兄弟、異父兄弟、そして、祖母という構成の家庭に育った。彼の義父は、平日は造船所で働き、週末は裕福な白人の郊外住宅地で庭仕事をして、生計をたてていた。息子の目に映る父親の姿は、仕事に出ているか、酒を飲んでいるか、寝ているかのいずれかだった。
マッコールによれば、彼の両親の世代にとって、子供を育てるということは、子供たちの衣食住が足りているかどうかを確認することであり、それ以外は、病気とか悪い事をしでかしたというような場合を除いて、子供たちに対して強い関心を示すことがなかったという。一方、マッコールと同じコミュニティに生きる少年たちは、そんな家庭のなかで、誰もが、将来は絶対に父親のようになりたくないと考えるようになるという。そして、この黒人のコミュニティで、父親とは別のロールモデルといえば、ストリート・ギャングということになってしまうのだ。
この自伝では、家族とギャングをめぐって、個人の意識や感情が、どのように歪められていくのかが、赤裸々に描かれている。
マッコールのような若者たちにとって、ギャングへの第一歩になるのは“トレイン”だ。この言葉は、ひとりの女を集団で犯すことを意味している。彼らは、14歳の頃から、そんな光景を目にするようになる。「どこどこでトレインが始まった」という話を聞きつけて、彼らが行ってみると、車から女の足がはみ出し、そばに、20〜30人のギャングたちが、自分の順番を待って行列を作っている。そうした連中は、手あたりしだいに女をあさり、母子家庭のアル中の母親まで、コンビニの裏の茂みに引きずり込んでしまったという。
マッコールは、その母親の娘たちのことを知っていて複雑な気持ちになるが、そんな感情はすぐに消し去られていく。ある日、彼が呼び出しを受けて仲間の家に行くと、そこには、近所に越してきたばかりの一家の娘が誘いこまれている。そして、一瞬は罪悪感を覚えるものの、それ以来、彼は自分や仲間の家で、両親の留守を狙い同じ事を繰り返していく。彼の仲間のひとりは、 7〜 8歳の弟を連れてきて、真似事をさせていたという。マッコールによれば、このトレインを通して、どんな状況でも行動を共にするというギャングの絆ができるという。そして、その先には、銃による抗争やドラッグが待っているというわけだ。
■■悪循環を断ち切るための親子の絆■■
これはまさに家族や親子の絆とはほど遠い世界だ。そんななかでハイスクールの卒業を控えたマッコールは、ガールフレンドから妊娠を告げられる。ここでちょっと驚かされるのは、その頃の彼が、セックスしても男女が同時にオルガズムに達しない限り、妊娠はしないと信じこんでいたことだ。そして、出口のない社会と生活の重みから、彼はついには刑務所に送られることになる。
そればかりか息子ができたことで、父親としてのジレンマにも苛まれる。この自伝のなかで、マッコールは実父のことにはなかなか触れようとしない。だが後半、彼が2歳の時以来、25年振りに実父と再会するところで、その気持ちを明らかにする。彼は、思ったより近くに住んでいながら、自分が父親を必要としていたときに連絡すらよこさなかった実父を許すことができない。自分の方から二度と会うつもりはなく、実際に会っていない。
この気持ちは、父親と子供の絆に対する彼のこだわりを物語る。彼は今度は自分が父親の立場に立たされ、息子との絆をめぐってジレンマに陥っていた。というのも、10代で息子が生まれたとき、彼には結婚する余裕がなく、その後、母親はその息子を連れて西海岸に移り、結婚してしまったため、ほとんど会うことができなくなってしまうのだ。
そうしたジレンマは、彼が記者となり、結婚して、家族を持つことでいくらかでも解消されるかに見えるが、さらに新たな壁にぶつかる。彼は、その息子がしっかりとした黒人としてのアイデンティティを培っていくことを望むが、妻と彼女の両親は、白人社会にすんなり溶けこんでいくことを望んでいた。それは、息子の名前にも表れている。息子は、妻が名前を考え、彼がそれにスワヒリ語のミドルネームを加え、イアン・バカリ・マッコールと名付けられた。
そして結局、子供の育て方をめぐって亀裂が広がり、彼は離婚することになる。ところがその一方では、西海岸で成長した息子が、トラブルを引き起こし、母親の手に負えなくなったため、彼が引きとって、ワシントンで面倒を見ることにもなる。まさに、息子が父親を必要とし、彼が父親の責任を果たすときがやってきたことになる。
しかしながら、マッコールのかつての仲間たちは、ポーツマスの出口のない世界で、死亡した人間を除いて、ギャングか、あるいは、彼らの父親と同じように造船所で黙々と働くという人生を送っている。黒人社会における親子の絆の意味を再認識し、そんな悪循環を断ち切っていくためには、徹底的に自分をさらけ出すしかなかったのだろう。 |