しかしリッチは、単にリアリズムに徹しているわけではない。実は映画のタイトルには、痛烈な皮肉が込められている。それは、出て行くことばかりで頭がいっぱいになり、強盗をはたらき、家族を破滅させるくらいなら、とっとと自分の足元を見ろという前向きなメッセージである。
映画を作るにあたって資金難を抱えていたリッチは、ニューヨークのラジオ局に行き、黒人の投資家を募った。彼はラジオを通して、黒人たちが郊外に流出することによって、いっそう悲惨な状況に陥っていくゲットーの問題を提起した。「なぜ、作るのではなく、出ていかなければならないのか」、「なぜ、ここにとどまって自分たちの庭を作ることができないのか」と訴えたのだ。その結果、最終的に7万ドルもの資金が集まり、映画の制作が可能となった。
言うまでもなく、彼の主張の背景には、黒人社会の二極分化という問題がある。それを10代の若者が提起するのには驚かされるが、彼の主張は実体験から導きだされている。彼は実際にレッド・フック住宅で少年時代を過ごし、父親はアル中で暴力をふるった。映画と違うのは、母親の判断で母子は、レッド・フックを出て生活する道を選んだことだ。
ところが、仲間が残っている街が忘れられない彼は、頻繁にレッド・フックに舞い戻り、そこでバイクを盗んだ友人が刑務所で死亡するという悲劇に遭遇し、この映画を作る決意を固めたという。彼はひとたび外に出たにもかかわらず、あるいはそれゆえに、都市を建て直そうという結論に至った。そんな体験が、二極分化という深刻な問題に立ち向かう彼の姿勢に比類なき強度をもたらしているのだ。
ところで、この映画にはジョナサン・デミが少し絡んでいる。『羊たちの沈黙』の編集作業中にデミは、別の編集ルームで作業を進めるリッチと知り合い、親しくなり、ポストプロダクションの資金調達が可能な会社を紹介したという。しかも、生まれたばかりの自分の子供に、この映画にちなんで"ブルックリン"という名前をつけたという。
デミは88年の『サムシング・ワイルド』で、80年代ニューヨークを象徴するヤッピーにとんでもない試練を与え、彼を路上に引き出し、人間性を甦らせて見せた。そんなデミは、『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』に刻み込まれたリッチのメッセージに、深い共感を覚えたに違いない。 |