ジョナサン・デミは筆者が大好きな映画監督のひとりである。日本で彼が注目を集めることになった作品とえいば、おそらくトーキング・ヘッズのライブ・ドキュメント『ストップ・メイキング・センス』だろう(但し、注目されたのはトーキング・ヘッズのパフォーマンスだけで、 監督にはあまりスポットが当たらなかったような気もする)。その『ストップ〜』につづいてデミが監督した劇映画が『サムシング・ワイルド』。88年に一般公開されて、しばらく前にビデオ化されたこの作品は、ロード・ムーヴィーやコメディ、 スリラーなどの要素を盛り込み、デイヴィッド・バーンやファイン・ヤング・カニバルズ、ジミ・クリフなどセンス抜群のナンバーを散りばめつつ、保守的なヤッピーの煮え切らない体質をユーモラスに風刺した快作だった。
アメリカでは昨年(88年)、『サムシング・ワイルド』につづくマシュー・モディン、ミシェル・ファイファー主演のスクリューボール・コメディ『Married to the Mob(ビデオ・タイトル:愛されちゃってマフィア)』が公開されて話題を集め、 ジョナサン・デミは「ローリング・ストーン」誌で、いま最もホットな監督として大きくフィーチャーされていた。
いま最もホットな監督というと、もしかするとかなり若い人物を想像されるかもしれないが、彼は1944年2月22日生まれの45歳。世の中には、才能があって、情熱があって、しかも誠実な人間が、なかなか名声や金と結びつかないということがよくあるが、彼はその代表のような人物だ。 実は彼は、70年代の初めにコッポラやマーティン・スコセッシを発掘したB級映画の帝王ロジャー・コーマンにその才能を見出され、映画人としてのキャリアは、もうすぐ20年になろうとしている。しかも80年には、ニューヨーク批評家協会の最優秀監督賞も受賞していたりもするのだが、 45歳にして”ホット・ディレクター”と言われるところがまた彼らしい。
ところが、日本でのデミに対する評価は相変わらずひどい。とにかく新作の『Married〜』が、劇場公開もされないままに近くビデオ化されるというのだから悲惨である。ところが、ここにきて意外なところから彼の名前が飛び出してきた。 ヘイシャン・ミュージック(ハイチの音楽)のコンピレーション・アルバム『コンビット〜バーニング・リズム・オブ・ハイチ』のプロデューサーに彼の名前がクレジットされていたのである。彼は87年にハイチのドキュメンタリーを製作したりもしているので、そこらへんと繋がりがあるに違いない。 というようなことを想像しているときに、なんと彼に電話インタビューするという幸運にめぐまれた。
40分弱のインタビューだったが、デミはものすごいスピードと熱意で、音楽や映画のことを話してくれた。きっとこのインタビューを読んだら、あなたもデミのことが好きになってしまうことだろう。
――アメリカのメジャーのレコード会社からヘイシャン・ミュージックのコンピレーションが出るのは初めてのことだと思うのですが、あなたはこの『コンビット』でどのような役割を果たしているのですか。
ジョナサン・デミ(以下JD) 2年前にハイチを扱ったドキュメンタリー『Haiti : Dreams of Democracy』を作ったことが最初のきっかけだったんだ。このドキュメンタリーにかかわった人々のなかに、今回のアルバムで演奏しているハイチのバンド、レ・フレール・パランがいたんだ。 それで1年くらい前に、彼らと会ったときに、また別の企画を一緒にやってみないかって聞いてみたんだ。というのも、どうしてハイチの外では、人々がハイチの音楽を楽しむことができないんだろうということが頭にあって。答はこれまでハイチの音楽を聴ける機会があまりなかったからだ。
それからしばらくして、わたしはニューオリンズに行って、ネヴィル・ブラザースのビデオ・クリップを作ったんだが、そのときにシリル・ネヴィルもハイチにとても興味をもっていることを知ったんだ。そこで、ヘイシャン・ミュージックのコンピレーションを作るというわたしの計画を話してみたら、 シリルがのってくれて、それで一緒にA&Mレコードに話を持っていって、実現することになったんだ。わたしは、ふたりの共同プロデューサーと一緒に曲を選んだんだけど、手元にはものすごい枚数のハイチの素晴らしいアルバムがあって、本当に大変だったよ。このアルバムはぜひ成功させたいんだ。 スペースの都合でアルバムに入れられなかった曲がたくさんあって、2枚目も作りたいんだよ」
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