『リビング・イン・オブリビオン』や『リアル・ブロンド』で知られるトム・ディチロは、アメリカのインディーズ映画を代表する監督のひとりである。2年前にそのディチロにインタビューしたとき、彼はこんなことを語っていた。「アメリカのインディーズ界の現状はひどく厳しい。昔とは違うんだ。商売にならないかもしれない映画のリスクを背負う奴なんていないんだよ」。
『ガールファイト』の監督クサマは、様々なインタビューで、この長編デビュー作が作家としての彼女の本質よりもいくぶん商業的な作品になっていると語っている。厳しい状況にあるインディーズ映画界で、作品を作るのではなく、作りつづけていくためには、デビューするだけでもいろいろな苦労があるのだ。サンダンス映画祭でグランプリに輝けば、そんなことは忘れてしまう作家もいるかもしれないが、彼女はこだわる。ジョン・セイルズが手を貸すだけのことはある、誠実でシリアスな監督なのだ。
ヒロインは、父と弟の3人でブルックリンにあるレッド・フック低所得者用住宅に暮らしている。レッド・フックで思い出すのは、黒人監督マティ・リッチが19歳でデビューを飾った『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』だ。この映画の主人公一家も同じ住宅に暮らし、家族を支えられない不甲斐なさから父親は酒に溺れ、逆に家族を苦しめている。主人公の若者は、そこから出ていくために過ちを犯し、家族を崩壊に追いやってしまう。『ガールファイト』の父親も母親を自殺に追いやり、自堕落な生活を送っているが、ヒロインはボクシングに希望を見出していく。
そんな展開には確かに商業的な部分を垣間見ることができる。『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』が、観客が逃げ場を失うような凄まじいリアリティで迫るのに対して、ストーリーを支えにしているところがあるからだ。しかしそれゆえに、この映画には商業性とクサマの意地やプライドとのぶつかり合いがあり、それがダイナミズムを生みだしている。
たとえば、フラメンコのサウンドをバックに、ヒロインがもの凄い形相でこちらを睨みつけるオープニングには、意表を突かれる。そこには、ヒロインだけではなくクサマの闘争心も剥き出しにされている。ヒロインが恋するボクサーの若者に、"ロッキー"の恋人であるエイドリアンと同じ名前を付けているのも、決して偶然ではないだろう。そんなふたりはクライマックスで、リングの外ではなく上で、殴りあいながらお互いの気持ちを確認していくのである。 |