パプーシャの黒い瞳
Papusza


2013年/ポーランド/モノクロ/131分/ヴィスタ/5.1ch
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(初出:)

 

 

“人形”という呪縛と“詩人”という解放の狭間で
ロマ(ジプシー)の生活と女性詩人が歩んだ苦難の道

 

[概要] 書き文字を持たないジプシーの一族に生まれながら、幼い頃から、言葉に惹かれ、文字に惹かれ、こころの翼を広げ、詩を詠んだ少女がいた。ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910‐1987)。愛称は“パプーシャ”。ジプシーの言葉で“人形”という意味だ。彼女は成長し、やがてジプシー女性として初めての「詩人」となる。しかし、その天賦の才能は、外部者に秘密を漏らさないことを掟とする社会において様々な波紋を呼び、彼女の人生を大きく変えることになった――。

 パプーシャの生涯には謎が多い。映画では、わずか15歳で年の離れたジプシー演奏家と結婚したこと、彼女の才能を発見した詩人イェジ・フィツォフスキとの出会いと別れ、ジプシーの社会を追放されたことなどが描かれ、この実在した女性詩人の生きた日々を鮮やかに映像に刻印している。[プレスより]

 ヨアンナ・コス=クラウゼクシシュトフ・クラウゼの共同監督になる『パプーシャの黒い瞳』のヒロイン、ブロニスワヴァ・ヴァイス(通称パプーシャ)については、イザベル・フォンセーカのルポルタージュ『立ったまま埋めてくれ ジプシーの旅と暮らし』の序章「パプーシャの口からこぼれた歌」で比較的詳しく紹介されている。ちなみに筆者は、トニー・ガトリフ『愛より強い旅』『トランシルヴァニア』ダニス・タノヴィッチ『鉄くず拾いの物語』のレビューでも本書を引用している。

 ポーランド・ジプシーは、クンパニアという複数の家族からなる大きな集団を作り、馬に引かせたキャラバンを組んで旅をしていた。パプーシャはそんな暮らしのなかで読み書きを覚え、すぐれたジプシー歌手、詩人となる。そんなパプーシャは、ポーランドの詩人イェジ・フィツォフスキが彼女の才能に気づいたことで、閉鎖的なジプシーの世界の外にも知られるようになる。だがやがて、ジプシーの仲間から白人(ガジョ)の共謀者とみなされるようになり、彼女の詩が出版されたあとでジプシーの裁判にかけられ、終身追放の罰を受ける。その後は、1987年に没するまでの34年間を孤立無援で暮らしたという。

 『パプーシャの黒い瞳』では、そんなパプーシャの人生の断片が、時間軸を操作することによって時代を前後させながら描き出されていく。モノクロの映像は陰影の富み、引いたショットを多用するカメラワークと相まって、非常に深みのある世界を切り拓いている。クンパニアを基盤とした生活やキャラバンの旅、ジプシーの音楽もリアルに描き出されている。

 しかし筆者が最も印象に残ったのは、パプーシャが読み書きを覚えたことの重さを表現するエピソードだ。フィツォフスキがわけあって、ジプシーたちと行動をともにすることになったとき、パプーシャを含めた女たちが、好奇心から密かに彼の荷物を引っ掻きまわす。そのとき、荷物のなかに文字を見出し、それを読むパプーシャが、他の女たちから白い目で見られ、疎外されていることがわかる。さらに、紙に詩を書いていることを見咎められ、焼き捨てられる。

 もっと辛いのは、ジプシーの世界にも戦渦が迫る場面だ。トニー・ガトリフの作品でしばしば言及されるように、ジプシーもユダヤ人と同じようにホロコーストの犠牲になった。パプーシャは活字を通してドイツ軍が迫っていることを知るが、彼女がそれを伝えようとしても耳を貸す者はいない。そのあとで、同胞が虐殺されていくのを見ることは、耐え難い苦痛だろう。

 パプーシャに追放が宣告される裁判だけでも残酷極まりないのに、読み書きを覚えたことに起因する災いが、なぜこうも執拗に描かれるのか。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ヨアンナ・コス=クラウゼクシシュトフ・クラウゼ
Joanna Kos-Krauze, Krzysztof Krauze
撮影 クシシュトフ・プタク、ヴォイチェフ・スタロン
Krzysztof Ptak, Wojciech Staron
編集 クシシュトフ・シュペトマンスキ
Krzysztof Szpetmanski
音楽 ヤン・カンティ・パヴルシキェヴィチ
Jan Kanty Pawluskiewicz
 
◆キャスト◆
 
パプーシャ   ヨヴィタ・ブドニク
Jowita Budnik
ディオニズィ ズビグニェフ・ヴァレリシ
Zbigniew Walerys
イェジ・フィツォフスキ アントニ・パヴリツキ
Antoni Pawlicki
チャルネツキ アルトゥル・ステランコ
Artur Steranko
タジャン セバスティアン・ヴェソウォフスキ
Sebastian Wesolowski
トバル パトリク・ディトウォフ
Patryk Dytlow
レツァ レオカディア・ブジェジンスカ
Leokadia Brzezinska
パプーシャ(少女期) パロマ・ミルガ
Paloma Mirga
シェロ・ロム カロル・ギェルリンスキ
Karol Gierlinski
トゥヴィム アンジェイ・ヴァルデン
Andrzej Walden
-
(配給:ムヴィオラ)
 

 それは、映画の導入部と無関係ではないだろう。そこでは、ひとりのジプシー女性が店の前にたち、ショーウィンドウに飾られた人形を見つめている。やがて彼女は女の子を産み、パプーシャ(人形)と名づける。その名前は、彼女の未来の予兆になっている。読み書きを覚えたパプーシャは、いま書いたようなエピソードによって外堀を埋められるように追いつめられ、文字通り“人形”になってしまうからだ。

 だが、そうしたアプローチ、“人形”という呪縛の表現が効果を生み出すためには、“詩人”という解放もしっかりと描き出される必要がある。プレスに収録された「監督メッセージ」には、「彼女はポーランドの最も重要な60人の女性詩人にも数えられています」という言葉がある。では、パプーシャはどのように優れた詩人だったのか。筆者にはその部分が曖昧にされているように感じられる。

 たとえば、イザベル・フォンセーカは前掲同書で、パプーシャの革新性を以下にように表現している。

「今日活躍している一握りのロマ詩人、つまりジプシーの詩人によって作られた作品群を見ると、伝承に忠実であろうとする心と、かすかな罪悪感を抱きながらも詩人が自分の経験を細かく語ろうとする心のあいだを揺れ動く葛藤が見てとれる。ところが四十年前のパプーシャはすでに、集団的で抽象的なものから私的で綿密に観察された世界へと、完全に脱皮していた。

 パプーシャの歌のすばらしさは、誰にも真似のできない彼女自身の声にある。ときには彼女がただ「パプーシャの頭からこぼれでた歌」と呼んだその歌には、いまだにジプシー文化のなかからは聞こえてこないスタイルがあるのだ。パプーシャは特定の出来事や場所のことを歌詞にして歌った。彼女は証言者だった。戦争中に森に隠れていたことを歌った長い自伝的なバラードには「血の涙/四三年から四四年にかけてヴォリニアで私たちがドイツ人の支配のもとで体験したこと」という、そっけないタイトルがついている。パプーシャが書いたのは、自分たちの民族のことだけではなかった。ジプシーではない人たちの世界から受ける漠然とした脅威のことを書いているだけでもなかった。森と運命をともにしたユダヤ人のこと、「アシュフィッツ」、そう、アウシュヴィッツのことを書いたのである」

 それはまさしく“詩人”という解放であると思う。もちろん、ヨアンナ・コスとクシシュトフ・クラウゼが、フォンセーカが指摘した革新性に着目する必要はまったくない。だが、彼らならではの視点で、パプーシャの詩人としての解放が鮮明にされていれば、さらに素晴らしい作品になったのではないだろうか。

《参照/引用文献》
『立ったまま埋めてくれ:ジプシーの旅と暮らし』イザベル・フォンセーカ●
くぼたのぞみ訳(青土社、1998年)

(upload:2015/03/16)
 
 
《関連リンク》
ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ
『パプーシャの黒い瞳』公式サイト
ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ『救世主広場』レビュー ■
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