C.R.A.Z.Y.
C.R.A.Z.Y.


2005年/カナダ/フランス語/カラー/127分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:)

 

 

ホモセクシュアルとホモフォビア、神聖な教会と挑発的なロック
ケベックを変えた60年代の“静かな革命”をめぐる対立と和解

 

[ストーリー] 物語は、1960年12月25日に、主人公のザックが5人兄弟の4男としてケベックの平凡な家庭に生まれるところから始まる。ザックは父親のお気に入りの息子になるが、成長するに従って男に惹かれるようになり、ホモフォビア(同性愛嫌悪)の感情を持つ父親との間の溝が深まっていく。

 カナダ・ケベック出身のジャン=マルク・ヴァレ監督の『C.R.A.Z.Y.』では、主人公ザックと父親の関係を中心に、60年代から70年代に至る家族の変遷が描かれる。映画のタイトルは、アメリカのカントリー・シンガー、パッツィ・クラインの62年のヒット曲<Crazy>(ウィリー・ネルソン作)から取られている。ドラマのなかでは、このレコードが父親の愛聴盤になっていて、少年時代のザックがそれを割ってしまったり、後に思わぬ場所でそれを見つけたりと、父子の関係を象徴するアイテムとなり、頻繁にこの曲が流れる。

 映画のタイトルが、単に“CRAZY”ではなくピリオッドが入っているのにも意味がある。それは、5人兄弟の名前に注目するとわかる。Christian、Raymond、Antoine、Zachary、Yvanの頭文字を並べると“C.R.A.Z.Y.”になるというユーモアが込められている。

 この映画でこのドラマで重要なポイントになるのは、60年代のケベックで“静かな革命”と呼ばれる変革が進行していたことだ。それまでケベックのフランス系社会ではカトリック教会が実権を握っていたが、一連の改革によって州政府に実権が移行し、民主的で世俗的な社会へと変貌を遂げていった。

 ラムゼイ・クックの『カナダのナショナリズム』では、その変化が以下のように表現されている。

「静かな革命として知られるようになった一連の改革を正当化するための新しいナショナリズムが生じた。旧来、ケベック人のイメージとナショナリズムは言語、宗教、領土に重点を置いたが、新しい思想は、伝統的生活様式を単なる追憶、しかも悪い追憶としか考えられない人々によって打ち出された。都市産業社会に生きる人々にとって、伝統的・宗教的な教えが到底答えを導き出してくれそうにない新しい諸問題にどう取り組んでいくかという点が懸念であった。伝統的な社会宗教的回答がもはや不適当であれば、制度としての教会もますます怪しまれて当然であった。神学や道徳学より経済学や社会学に基づく新しい思想が開拓されればされる程、それらを具体化する新しい制度が模索されねばならなかった」

 言語政策についても以下のように書かれている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ジャン=マルク・ヴァレ
Jean-Marc Vallee
原案/脚本 Francois Boulay
撮影 Poerre Mignot
編集 ポール・ジュトラ
Paul Jutras
 
◆キャスト◆
 
Zachary Beaulieu   マルク=アンドレ・グロンダン
Marc-Andre Grondin
Gervais (father) ミシェル・コーテ
Michel Cote
Laurianne (mother) ダニエレ・プルール
Danielle Proulx
Raymond ピエール=リュック・ブリアン
Pierre-Luc Brillant
Antoine アレックス・グラヴェル
Alex Gravel
Christian Maxime Tremblay
Brigitte Mariloup Wolfe
Paul Francis Ducharme
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(配給:)
 

「ここでもまた、新しいナショナリズムの主要な特徴が鮮明になる。他の諸政策と同様、言語政策においても、州政府が教会に取って代わった。以後、重視される価値はもはや神聖なものでなく、世俗的なものであった。そして、その結果は中央[州]集権化と均質化であった。一部には伝統的な価値に対する固執が依然としてあったにもかかわらず、ケベック社会は過去の独自性を犠牲にしてまでも現在、そして未来へと邁進しようとしていた」

 ちなみに、国連PKO司令官としてルワンダのジェノサイドに翻弄されたロメオ・ダレールもまたケベックの出身で、その著書『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』のなかで、静かな革命について以下のように回想している。

「私はケベックの静かな革命の世代であり、両親と同じように、六〇年代初頭にケベックの首相であったジャン・ルサージュが唱えた構想の熱烈な信者であった。二〇年近くにわたってケベック州を自分の個人的領地のように経営したモーリス・デュプレシが敗れて、ケベックは暗い、四〇年代五〇年代の教会による分断[カトリック教会による支配]を、完全に時代に合ったように思える大胆さとエネルギーで、打ち破った。学校で私は、教師たちが先頭にたつ大きな運動『正しいフランス語』に加わった。それはフランス語の尊重、さらには崇拝を強調するものであり、フランス語に忍び寄りつつある英語化に対する攻撃であった。私の世代は、カナダの内部でのフランス語系カナダ人少数派の権利に対する平等な承認を求めることに、自信をもつと同時に情熱を傾けた」

 静かな革命に関するこうした記述を踏まえてみると、このドラマがより興味深いものになるはずだ。まず、ザックの誕生日を60年12月25日にしたことの意味は大きい。主人公の存在と教会や宗教、キリストを結びつけることが容易になり、新旧の価値観を対比できる。また、多くの登場人物たちが集まるパーティを、様々な変化を描くうえで大いに利用することができる。

 たとえば、パッツィ・クラインが愛聴盤の父親は、英語化しているように思われるかもしれないが、そんなことはない。彼はクリスマス・パーティになると、家族がうんざりしているのも気にせず、必ずシャルル・アズナブールを熱唱する。

 一方、ザックは新しい文化にのめり込んでいく。7歳のザックが一気に15歳の彼に変貌を遂げる瞬間には、ピンク・フロイドの<シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイアモンド>(これも“クレイジー”繋がりといえる)が流れ、部屋の壁にはアルバム『狂気』のジャケットのプリズムが描かれている。教会のミサでザックが見る幻想も印象深い。ローリング・ストーンズの<悪魔を憐れむ歌>に合わせて、聖歌隊や参列者がコーラスに加わり、ザックが宙に浮いていく。これは、伝統と世俗における聖なるものをユーモラスに対置しているともいえる。ロックの洗礼を受けながらも、宗教的な罪悪感を拭い去ることができないザックは、映画の終盤でキリストの物語をなぞるように、北アフリカの砂漠を彷徨うことになる。

 だからこの『C.R.A.Z.Y.』は、同性愛に目覚めるザックとホモフォビアの父親の関係を中心に、家族の変遷を描いただけの映画ではない。ザックと父親には、静かな革命をめぐる新旧の価値観が反映され、より大きな歴史の流れのなかで世代間の対立と和解が描き出されているのだ。

《参照/引用文献》
『カナダのナショナリズム――先住民・ケベックを中心に』 ラムゼイ・クック●
矢頭典枝訳(三交社、1994年)

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記』
ロメオ・ダレール●

金田耕一訳(風行社、2012年)

(upload:2014/12/15)
 
 
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