実話に基づくジャン=マルク・ヴァレ監督の『ダラス・バイヤーズクラブ』の主人公は、80年代半ばのテキサスで電気技師として働きながら、ロデオと酒と女に明け暮れるカウボーイ、ロン・ウッドルーフだ。ある日、自分のトレーラーハウスで意識を失い、医師からHIV陽性、余命30日と宣告された彼は、動揺しつつもエイズの情報をかき集める。
ランディ・シルツの大著『そしてエイズは蔓延した』に書かれているように、当時のアメリカで何らかの治験薬を投与されていたエイズ患者は1割にも満たず、薬剤の入念な試験が終わるのを待つ間に力尽きる患者が跡を絶たない状況だった。
そこでこの主人公は、メキシコに行って国外で流通する治療薬を仕入れ、自分で使うだけでなく、商売も始める。直接、薬を売買するのはまずいので、会費を募り、必要な薬を無料で配布するというシステムを作る。それが“ダラス・バイヤーズクラブ”だ。
但し、実際に未承認の医薬品を輸入したのは彼だけではない。シルツの前掲同書によれば、すでにサンフランシスコには広範なアングラ市場が生まれていたし、「トゥース・フェアリーズと称するバークリーのグループは、国境の税関で薬を摘発されない方法を教える手引書をまとめた」という。
さらに、フラン・ホーソンの『FDA(米国食品医薬品局)の正体』にも、「エイズ患者らはあらゆる治療法を必死になって探し、メキシコやブラジルまで最新の奇跡の治療を求めて足を運び、米連邦法に違反して未承認の医薬品を輸入した」とある。
ウッドルーフはあくまでそうした人々のひとりであり、おそらくアメリカ全体としてみれば当時それほど目立った存在というわけではなかっただろう。だが、この映画には他の地域では成り立たないようなドラマがある。
彼が生活しているのはテキサスの保守的な地域であり、またアン・リーの『ブロークバック・マウンテン』に描かれたように、カウボーイ文化では同性間の社会的な絆である“ホモソーシャル”と同性愛を嫌悪する“ホモフォビア”が不可分に結びついている。だからゲイ=エイズという偏見もより根深いものになる。そんなコミュニティに属していた彼は、生きようとする以前にまず、自身のなかに巣くう偏見や周囲からの露骨な疎外に打ち克たなければならない。
もし彼が最初にそう見えたような自堕落なカウボーイであったなら、サンフランシスコのような他の土地に移っていただろう。だが彼はそこに留まる。そして、トランスジェンダーのクイーンを受け入れ、さらには目の前に立ちはだかる政府やFDAに戦いを挑もうとする。 |