昨年(1993年)、アメリカで出たゲイ・フィクションのアンソロジー『WAVES』では、ストーンウォール暴動から25周年ということもあり、編者であるゲイの作家イーサン・モーデンが、長文の前書きで現在に至るゲイ・フィクションの流れを振り返っている。彼は、ストーンウォール以降のゲイ・フィクションの変遷を、大きく三つの波にわけて説明している。
それを要約すると、まず、第一の波では、ゲイは、時代のなかの異物であり、疎外された異邦人として世界を彷徨い、かなり芸術的な観点から、自己のアイデンティティを探究しているという。具体的な作家としては、エドマンド・ホワイトやアンドリュー・ホラーランなどの名前が上げられている。
その後、80年代前半から中盤にかけて台頭してくる第二の波の場合は、アイデンティティを探っていこうとする姿勢に変わりがあるわけではないが、一方でゲイは、もっと生活に根ざしたリアルな存在、ある意味では、“普通”の存在としてその日常がクローズアップされ、新しい家族の絆なども模索されることになる。作家では、デイヴィッド・レーヴィットやマイクル・カニンガムなどが、この波の代表とされる。
それでは第三の波はといえば、第二の波が、ストレートの現実の世界のなかでゲイがどのように感じているのかを表現しているとするなら、第三の波では、現実の世界はゲイの世界であり、ストレートの人々は、どうしようもないでしゃばりとみなされるという。そして、モーデンが、第三の波の典型的な作品として解説を加えているのが、90年代初頭に登場したケン・サイマンの『ぼくの欲しかったもの』だ。
主人公のアンディは、サバービアに暮らし、ハイスク−ルに通い、ひどいニキビに悩むゲイの少年であり、ハンサムで、肌のきれいな少年に憧れ、悶々とし続ける。彼はそのニキビのために、周囲から(原題にあるように)“ピザ・フェイス”と呼ばれている。
著者のサイマンは、そんな主人公の外面のニキビと内面のゲイをダブらせ、強烈なコンプレックスに悩み、いじめにあうこの悲劇的な主人公の成長を追うと同時に、彼をある主の狂言回しにすることによって、周囲の世界=保守的なアメリカ社会の縮図としてのサバービアをブラックなユーモアで痛烈に風刺する。
たとえば、アンディは、政治家のグッズ(特に、石膏やプラスティックでできた大統領の人形)を集めることを趣味にしている。ハイスクールで疎外されている彼でも、政治家に手紙を出すと必ず返事をくれるからだ(もちろん、本人がそれを書いているわけではない)。この小説では、そんな設定を利用することによって、アンディがファンであるカーターからレーガン政権へと保守化していく政治的な時代背景もたっぷり盛り込みつつ、サバービアの世界が描き出される。
拙著『サバービアの憂鬱』で書いたように、サバービアでは、Jocks(体育会系の人気者グループ)がしばしば町ぐるみで優遇されるために横暴をきわめ、問題を起こしてももみ消されることがある。この小説でも、そんなJocks絡みのエピソードが出てくる。
「基本的にはピザ・ハットはスポーツ万能の人気のある学生たちで占められていた。人気のない生徒たちはピザを持ち帰ってコンビニ・ストアでビールを買うのだ。そんな女の子の一人が誰かにオリーブを投げつけられて視力を失ってからというもの、ピザ・ハットからサラダ・バーがなくなった。彼女はもともとどもりだった上に、これからは一生眼帯をつけて過ごさなくてはならないのだ」
しかもこの後には、隣に開店した店のマネージャーが、「ピザ・ハットでものを投げつけられるような客層を」引き寄せようと、知恵をしぼるといった話が続く。そうした状況が、アンディの無表情を装った語り口で描写され、しかもそこに背景となる政治的な要素が重なると、“現状維持”に対する痛烈な風刺になる。
また、このハイスク−ルにはふたつのカフェテリアがあり、白人と黒人が別々に食事をするようになっている。そこで、教師が『ハックルベリー・フィンの冒険』を課題として、「人種間の調和を立体的に表現する」という宿題をだす。するとアンディは、13代大統領フィルモアの人形の顔を黒く塗りつぶしてジムを作り、リンドン・ジョンソンの人形をハックにして、チーズを揚げて作った筏の上に糊付けして提出する。それが気に入った教師は、筏を味見しようとして糊まで食べてしまい、苦しみだすことになる。 |