ゲイ・フィクションの枠を超えて広がる物語と世界
――『Toby’s Lie』、『Mysterious Skin』、『In Awe』をめぐって


line
(初出:「SWITCH」1997年11月号、Dr.Fact of Life 30)

 

 

 アメリカでそれまで日陰の存在だったゲイ・フィクションが注目を浴び、大手の出版社からも出版されるようになったのは80年代に入ってからのことだが、いまではそのゲイ・フィクションという枠組みがかなり曖昧なものになっている。というのも、ゲイとしての体験やアイデンティティをひとつの出発点にはしているものの、その枠組みを超えるような物語やイメージ、世界を切り開こうとする作家が少なくないからだ。

 この連載でも、まとまったかたちではないが何人かそういう作家を取り上げたことがある。たとえば、タイプはまったく違うが、ポルノ、SM、虐待、ドラッグ、ロックやホラー映画など暴力とセックス、死に満ちた世界を描くデニス・クーパーやゲイの登場人物が作る絆を通して家族というものの新しいかたちを模索するマイケル・カニンガムなどだ。

 今回は、そんなふうにゲイ・フィクションの枠組みを越える魅力を持った作品に注目してみたい。

■■ダニエル・ヴィルミュール 『Toby's Lie』■■

 まずは、ダニエル・ヴィルミュールの『Toby’s Lie』。87年に長編デビューを果たした著者にとってこれが久し振りの二作目ということになる。ヴィルミュールはそれほど知名度があるわけではないが、この作品を初めて読んだときには、新鮮な感動をおぼえた。

 物語の主人公は、フロリダの郊外に両親と暮らし、厳格なカトリックのハイスクールに通う少年トビー。彼がゲイであることは、近所でも噂になっていて、両親も薄々感づいている。そんな彼は、数ヶ月前に転校してきた少年イアンに惹かれている。イアンは、左目が義眼というハンディを背負っているが、カリスマ的な魅力がありクラスの人気者になっている。トビーは、イアンとカップルでプロムに行くことを夢見ている。

 まさにゲイの青春小説そのものといえる設定だが、そんなトビーの周囲で思いもよらないことが次々と起こり、彼はとんでもない状況に引き込まれていく。

 まず、突然母親が家を出ると言いだし、彼は町の反対側にある安アパートへの引越しを手伝わされる。母親は、事情を何も説明せず、絶対に父親に居場所を教えないように釘をさす。彼は父親に嘘をつくことになるが、その嘘が思わぬ展開を招き寄せていく。

 トビーの周辺を父親に雇われたという探偵トマスが嗅ぎまわるようになる。憧れのイアンから病院に呼びだされた彼は、そこに入院するエイズに感染した老神父の面倒をみることになる。イアンは、彼が50時間の奉仕活動をクリアしないとプロムに出られないことを知っていたのだ。母親の代わりに学校の送り迎えをしてくれたのは、親友のクラスメートでヤクの売人でもあるジュースだったが、彼のポルシェが怪しい車に尾行されていることがわかり、トビーはヤクと大金を預かるはめになる。

 さらに、トビーが母親のアパートを訪ねてみると、驚くことに面識のないはずのイアンが母親と親しげにしている。家に戻ると今度は父親が姿を消している。ジュースによれば、探偵トマスは実は危険なヤクの密売の元締めらしい。というように、トビーの日常はプロムに向かって奇妙な混乱状態に陥っていく。

 そして、この小説はもしかしたら結末が見えず曖昧なままで終わるのではないかと思い出したときに、両親と探偵、そしてイアンと老神父それぞれの秘密が絡み合ってできあがった謎が一気に解ける。と同時に、主人公トビーは気づかないうちに大人の世界に踏みだしていたことを悟る。彼を取り巻く人々の愛情や憎しみ、苦痛、後悔、怯え、脆さといったもろもろの感情が謎めいた状況を作りあげていたことを知るのだ。また、老神父にプロスペローが、イアンにエアリエルがダブっていくというシェイクスピアの『テンペスト』の引用も印象に残る。

 この小説は、エイズ以降の時代を踏まえた奔放な物語の広がりのなかで、主人公とともに読者も宙吊り状態に引き込み、それゆえに突然開ける視界から登場人物たちのなかに隠されていた切実な感情が驚くほどストレートに伝わってくるところが何とも新鮮だ。

■■スコット・ハイム 『Mysterious Skin』■■

 そして、次に取り上げるスコット・ハイムの場合は、新鮮を通り越して衝撃的ですらある。ハイムは、この連載の第一回で紹介した新しいゲイ・フィクションのアンソロジー『WAVES』にも短篇が収録されていた作家/詩人で、このアンソロジーの翌年の95年にデビュー長編の『Mysterious Skin』を発表した。

 海外の評にも同じような表現があったが、この作品には震えがくるような衝撃を受けた。インターネットのあるサイトには、どうしてこの小説がゲイ・フィクションのコーナーに置かれているのかという読者からのコメントが寄せられていたが、確かに、そういう枠組みを越えてしまっている作品である。

 物語の舞台は、カンザス州のスモールタウンで、81年から91年にかけて、三人の少年たちそれぞれの体験が綴られ、それがしだいに深く絡み合っていく。

 ブライアンは、両親と姉と暮らしている。81年の夏、8歳の彼は、5時間近く記憶を失うという体験をした。リトル・リーグの試合に出たことは覚えているが、その後の記憶が途絶え、気づいてみると自分の家のポーチの下にある狭い空間で鼻から血を流して横たわっていたのだ。数日後、彼は母親や彼女の同僚とともに、小高い丘の上から夜空に青白く光るものを目撃する。そして彼にとって、狭苦しい空間とUFOがその夏の思い出となる。

 
《データ》
 
“Toby’s Lie”by Daniel Vilmure●
(HarperPerennial, 1995)
 
“Mysterious Skin”by Scott Heim●
(Harper Collins, 1996)
 
“In Awe”by Scott Heim●
(Harper Collins, 1997)
 
 
 
 
 

 同じ夏、母子家庭に暮らす早熟の少年ニールは、リトル・リーグのコーチに恋をし、コーチの部屋で性の快楽の世界への第一歩を踏みだす。しかしコーチの契約期間は短く、夏の終わりとともに町を去ってしまう。

 その後は、83年、87年と飛び飛びにこのふたりの少年たちの対照的な成長が淡々と綴られる。しかし、その淡々とした描写からは、少年の残酷さや孤独、悲しみと不器用な優しさがしっかりと浮かび上がってくる。

 たとえば、83年のハロウィンの夜、ゲイであることを隠さないニールは、学校のなかでただひとり彼に興味を示す少女と変装して町に繰りだす。そこでドラゴンのぬいぐるみを着た知恵遅れの少年を見つけると、彼の口に花火を押し込み、ドラゴンが火を吹くのを眺める。しかし、口から血を流している少年の顔を見たニールは、自分の口を使って少年を慰め、少女を愕然とさせるのである。そんなニールは、やがてゲイが集まる公園に出入りするようになり、快楽に溺れていく。

 一方、自分の世界にこもるブライアンは、何らかのショックを受けたときに失われた記憶の断片を取り戻していくが、テレビで、宇宙人に誘拐されたという女性のことを知ると、自分も同じ体験をしたのだと確信し、彼女と行動をともにしながら真実を探し求めるようになる。

 そして最初の出来事から10年後の91年、ニールに恋をするもうひとりの少年エリックが、ニールとブライアン双方と付き合うようになり、奇妙な三角関係のなかで、ふたりを結びつけ、81年に彼らに何が起こったのかが次第に明らかにされる。と同時に、運命的で切ない愛の絆が浮かび上がってくるのである。

 周囲の世界に対する少年期の微妙な違和感、性の目覚めや性的虐待、そしてUFO体験を見事に絡み合わせ、独自の物語と世界を構築するハイムの大胆にして繊細な感性はまさに衝撃的だった。

■■スコット・ハイム 『In Awe』■■

 そして、それだけに楽しみにしていたのが、今年(1997年)出たばかりの彼の第二作『In Awe』だ。この新作では前作のスタイルがさらにエスカレートし、あまりにも純粋で残酷な物語を際立たせている。

 舞台はやはりカンザス州のスモールタウンで、孤児院で暮らす17歳のゲイの少年ボリス、コンビニで働いている32歳の女サラ、60代の老婆ハリエットの三人を主人公とした物語が綴られる。彼らは、ハリエットの息子でありボリスとサラの親友で、エイズで死亡したマーシャルを第四の主人公として分かちがたく結びつき、それゆえに保守的なコミュニティから疎外され、孤立している。

 そのコミュニティのなかでも、ボリスと同じ学校に通うホワイトトラッシュの少年グループは、彼らに対して執拗なストーキングを繰り返す。ところが、ボリスは、そのグループのリーダーであるレックスを心から愛している。

 著者のハイムはそんな設定のなかで、登場人物たちのなかにある純粋な想いや残酷な衝動を、物語にフリークなイメージが充満するところまで突き詰めていくのだ。

 ボリスは、レックスの持ち物からゴミまであらゆる物を収集し、少しでも彼に近づこうとする。ついにはトイレで彼が流し忘れた尿までも試験管に掬い取って大事に保管する。レックスと仲間の連中は、そんな彼を図書館のなかで裸にし、身体中にゲイを意味する落書きをし、さらし者にする。

 しかし、この小説には現実的なドラマだけが綴られていくわけではない。フリークなイメージはもっと別な流れからも浮かび上がってくる。実はこの物語は、墓場から主人公らしき三人のゾンビがはいだすところから始まる。というのも、この小説にはボリスが、自分を含めた三人がそれぞれに過去を告白した手記をベースに「ゾンビの行進」という究極のゾンビ小説を書こうとするという設定があり、物語に、その手記と小説の断片が頻繁に挿入される。

 その断片的な手記には、前作でブライアンがUFO体験に固執していったように、それぞれのオブセッションが反映されている。サラは、『13日の金曜日』のようなホラー映画に異常な関心を持ち、教師の体罰やレイプ体験がホラー映画の一場面へと変容し、ハリエットは、死に行く息子が天使に変わるファンタジーを描く。

つまりこの小説では、現実のドラマとそうした現実の体験をそれぞれの文脈で記憶に刻み込もうとする主人公たちの情念が激しくせめぎあっている。そんな物語のクライマックスには、三人の主人公と少年グループの奇妙な対決の果てに意外な幕切れが待ち受けているのだが、その瞬間に、現実としての結末を引き裂くように噴き出す三様の情念が、鮮烈な印象を残すのだ。


(upload:2013/01/18)
 
 
《関連リンク》
ゲイの浸透と新しい家族の絆――レーヴィット、ホームズ、カニンガム ■
ゲイ・フィクションの変遷――アメリカン・ファミリーとの関係をめぐって ■
ゲイをめぐるダブル・スタンダード
――歪んだ社会を浮き彫りにする小説とノンフィクションを読む
■
ホモセクシュアリティとカトリックの信仰――『司祭』と『月の瞳』 ■
ホモソーシャル、ホモセクシュアル、ホモフォビア
――『リバティーン』と『ブロークバック・マウンテン』をめぐって
■

 
 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp
 


copyright