アメリカでそれまで日陰の存在だったゲイ・フィクションが注目を浴び、大手の出版社からも出版されるようになったのは80年代に入ってからのことだが、いまではそのゲイ・フィクションという枠組みがかなり曖昧なものになっている。というのも、ゲイとしての体験やアイデンティティをひとつの出発点にはしているものの、その枠組みを超えるような物語やイメージ、世界を切り開こうとする作家が少なくないからだ。
この連載でも、まとまったかたちではないが何人かそういう作家を取り上げたことがある。たとえば、タイプはまったく違うが、ポルノ、SM、虐待、ドラッグ、ロックやホラー映画など暴力とセックス、死に満ちた世界を描くデニス・クーパーやゲイの登場人物が作る絆を通して家族というものの新しいかたちを模索するマイケル・カニンガムなどだ。
今回は、そんなふうにゲイ・フィクションの枠組みを越える魅力を持った作品に注目してみたい。
■■ダニエル・ヴィルミュール 『Toby's Lie』■■
まずは、ダニエル・ヴィルミュールの『Toby’s Lie』。87年に長編デビューを果たした著者にとってこれが久し振りの二作目ということになる。ヴィルミュールはそれほど知名度があるわけではないが、この作品を初めて読んだときには、新鮮な感動をおぼえた。
物語の主人公は、フロリダの郊外に両親と暮らし、厳格なカトリックのハイスクールに通う少年トビー。彼がゲイであることは、近所でも噂になっていて、両親も薄々感づいている。そんな彼は、数ヶ月前に転校してきた少年イアンに惹かれている。イアンは、左目が義眼というハンディを背負っているが、カリスマ的な魅力がありクラスの人気者になっている。トビーは、イアンとカップルでプロムに行くことを夢見ている。
まさにゲイの青春小説そのものといえる設定だが、そんなトビーの周囲で思いもよらないことが次々と起こり、彼はとんでもない状況に引き込まれていく。
まず、突然母親が家を出ると言いだし、彼は町の反対側にある安アパートへの引越しを手伝わされる。母親は、事情を何も説明せず、絶対に父親に居場所を教えないように釘をさす。彼は父親に嘘をつくことになるが、その嘘が思わぬ展開を招き寄せていく。
トビーの周辺を父親に雇われたという探偵トマスが嗅ぎまわるようになる。憧れのイアンから病院に呼びだされた彼は、そこに入院するエイズに感染した老神父の面倒をみることになる。イアンは、彼が50時間の奉仕活動をクリアしないとプロムに出られないことを知っていたのだ。母親の代わりに学校の送り迎えをしてくれたのは、親友のクラスメートでヤクの売人でもあるジュースだったが、彼のポルシェが怪しい車に尾行されていることがわかり、トビーはヤクと大金を預かるはめになる。
さらに、トビーが母親のアパートを訪ねてみると、驚くことに面識のないはずのイアンが母親と親しげにしている。家に戻ると今度は父親が姿を消している。ジュースによれば、探偵トマスは実は危険なヤクの密売の元締めらしい。というように、トビーの日常はプロムに向かって奇妙な混乱状態に陥っていく。
そして、この小説はもしかしたら結末が見えず曖昧なままで終わるのではないかと思い出したときに、両親と探偵、そしてイアンと老神父それぞれの秘密が絡み合ってできあがった謎が一気に解ける。と同時に、主人公トビーは気づかないうちに大人の世界に踏みだしていたことを悟る。彼を取り巻く人々の愛情や憎しみ、苦痛、後悔、怯え、脆さといったもろもろの感情が謎めいた状況を作りあげていたことを知るのだ。また、老神父にプロスペローが、イアンにエアリエルがダブっていくというシェイクスピアの『テンペスト』の引用も印象に残る。
この小説は、エイズ以降の時代を踏まえた奔放な物語の広がりのなかで、主人公とともに読者も宙吊り状態に引き込み、それゆえに突然開ける視界から登場人物たちのなかに隠されていた切実な感情が驚くほどストレートに伝わってくるところが何とも新鮮だ。
■■スコット・ハイム 『Mysterious Skin』■■
そして、次に取り上げるスコット・ハイムの場合は、新鮮を通り越して衝撃的ですらある。ハイムは、この連載の第一回で紹介した新しいゲイ・フィクションのアンソロジー『WAVES』にも短篇が収録されていた作家/詩人で、このアンソロジーの翌年の95年にデビュー長編の『Mysterious Skin』を発表した。
海外の評にも同じような表現があったが、この作品には震えがくるような衝撃を受けた。インターネットのあるサイトには、どうしてこの小説がゲイ・フィクションのコーナーに置かれているのかという読者からのコメントが寄せられていたが、確かに、そういう枠組みを越えてしまっている作品である。
物語の舞台は、カンザス州のスモールタウンで、81年から91年にかけて、三人の少年たちそれぞれの体験が綴られ、それがしだいに深く絡み合っていく。
ブライアンは、両親と姉と暮らしている。81年の夏、8歳の彼は、5時間近く記憶を失うという体験をした。リトル・リーグの試合に出たことは覚えているが、その後の記憶が途絶え、気づいてみると自分の家のポーチの下にある狭い空間で鼻から血を流して横たわっていたのだ。数日後、彼は母親や彼女の同僚とともに、小高い丘の上から夜空に青白く光るものを目撃する。そして彼にとって、狭苦しい空間とUFOがその夏の思い出となる。
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