ウォルター・サレス監督の『オン・ザ・ロード』は、ビート文学を代表するジャック・ケルアックの同名小説の単なる映画化ではない。サレスは主人公サルを通してケルアックの複雑な内面に迫り、作家として覚醒する瞬間を鮮やかに描き出している。
それができたのは、サレスとケルアックに共通点といえるものがあったからだろう。ブラジルで成功を収めたサレスは、『ダーク・ウォーター』でハリウッドに進出してはいるものの、アメリカでは異邦人である。ケルアックは、ニューイングランドに移ってきたフランス系カナダ人の子として生まれ、フランス語を母語、英語を第二言語として育った。
この映画には、サルが母親と二人だけのときにフランス語で会話する場面がある。彼は作家を目指しつつも、英語ではまだ自分の文体を完全には確立していない。そんな彼がディーンに魅了されるのは、この型破りな男にアメリカを強く感じるからだ。西部出身のディーンはサルにとってカウボーイであり、かつての開拓者と同じように西へ向かうことから始まる旅には、フロンティアが意識されている。
さらに、もうひとつ見逃せないのが、父親をめぐる視点だ。映画は、サルの父親の死のエピソードから始まる。一般に流通している『オン・ザ・ロード』の1957年刊行版は、妻との離婚から始まる。父親の死から始まるのは、ケルアック自身が手を加える前のオリジナル版(『スクロール版オン・ザ・ロード』として刊行されている)だ。
サレスはオリジナル版のほうにだいぶインスパイアされている。それが父親へのこだわりに表れている。サルとディーンの性格や生き方は対照的だが、実はどちらも父親の喪失に苛まれている。
サレスが世界的な名声を獲得した『セントラル・ステーション』は、少年が顔も知らない父親を探す物語だった。この監督はかつて「The Guardian」のインタビューで、その父親探しについて以下のように語っていた。
「ポルトガル語では、父(pai)と国(pais)を表す言葉はほとんど同じです。だから、父親を探すことは、国を探すことでもあるのです」
この映画では、そんな独自の視点と原作の世界が巧みに結びつけられ、父親の喪失がフロンティアの喪失に重ねられていく。そして、サルが喪失という現実を受け入れたとき、彼のなかに旅の記憶が鮮明に甦り、言葉によって新たな空間が切り拓かれていくことになる。 |