『ダーク・ウォーター』は、和製ホラー『仄暗い水の底から』のリメイクではあるが、監督のウォルター・サレスは、ホラーというジャンルにとらわれることなく、独自の映像世界を作り上げている。
この映画の舞台は、イーストリバーに浮かぶルーズベルト島。そこには、川の向こうの華やかなマンハッタンとは異質な世界がある。サレスは、この島を最初に訪れた時に、この映画をやろうと思ったという。プレスには彼のこんな言葉がある。「持っている者、持たざる者が向かい合い、唯一、川を流れる黒い水が、それを隔てています」
『モーターサイクル・ダイアリーズ』では、ハンセン病患者たちがアマゾン川の対岸に隔離され、若きゲバラは、流れの激しいその川を泳いで渡ろうとする。このドラマのなかでその川は、人と人を隔てるあらゆる境界を象徴していた。
『ビハインド・ザ・サン』の一家が暮らす土地は“魂の川”と呼ばれているが、そこに川はなく、魂だけが残されている。しかし、曲芸師から絵本と川魚の名前を与えられた弟が語り出す人魚の物語と兄を縛る掟という現実が交錯していくとき、世界は変わる。ひとつの犠牲によって、褐色の風景に水が満ち、未知の世界に通じる魂の川となる。
サレスの作品の主人公たちは、象徴的なイメージを通して描き出される様々な境界と向き合うことで覚醒し、そして境界を越えてその先へと踏み出していく。
『ダーク・ウォーター』に描かれる水からも境界が浮かび上がってくる。ルーズベルト島に転居したダリアと娘セシリアの世界は、黒い水に侵蝕されていく。ダリアはその水に導かれるようにして、彼女たちの真上の部屋に暮らし、姿を消した少女ナターシャの存在を知る。その少女の孤独は、ダリアの少女時代の辛い記憶と共鳴し、彼女は母親の姿を幻視する。
ダリアの中では、現在と過去、そしてナターシャの世界が交錯する。そして彼女は、自分の娘だけではなく、過去の自分も救おうとするように境界を越えるのだ。 |