89年生まれのドランは、そんな歴史に立脚し、個人のアイデンティティの複雑さを炙り出しているといえる。
この新作『トム・アット・ザ・ファーム』の舞台は、ケベック州の片田舎の農場、変革などなかったかのように因襲に縛られた地域だ。モントリオールに暮らすトムは、事故死したゲイの恋人の葬儀に参列するために実家の農場を訪ねる。引用したクックの記述を踏まえるなら、トムが暮らすモントリールは革命以後の世界を、田舎の農場は革命以前の伝統的な世界を象徴していると見ることができる。
その農場には故人の母親アガットと兄フランシスが暮らしているが、母親は生前に息子から聞いた話を鵜呑みにして、恋人の女性が姿を見せないことに苛立ち、弟の秘密を知る兄はトムに敵意をむき出しにし、高圧的な態度で芝居を強要する。そしてトムが激しく抵抗すると、彼の車を奪って暴力で支配していく。
だが、そんな状況でトムの心理が思わぬ変化を見せる。亡き恋人の部屋で寝起きし、彼の服を着て農場の仕事を手伝うトムは、恋人もかつて自分を演じていたことを肌で感じるはずだ。そして実は兄のフランシスも閉鎖的な社会で孤立していることに気づくと、彼に共感すら覚えるようになる。
筆者は、「ホモソーシャル、ホモセクシュアル、ホモフォビア――『リバティーン』と『ブロークバック・マウンテン』をめぐって」で、ホモソーシャル(同性間の社会的な絆)とホモセクシュアル、ホモフォビア(同性愛嫌悪)の微妙な結びつきについて書いたが、このドラマもその三つの要素と無関係ではない。
この映画の舞台のような旧弊な土地では、ホモソーシャルな連帯関係が基盤となる。だから農場を営むフランシスは、ホモソーシャルと切り離せないホモフォビアの感情を持っている。だが、アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』で描かれるように、ホモソーシャルな連帯関係が、あくまでその延長線上でホモセクシュアルへと移行してしまうこともある。
フランシスの場合は、そこまで行かないが、似たような意識でトムに引き寄せられている。一方、トムもまた、農場での労働のなかでホモソーシャルな連帯関係を築くため、自ずとフランシスとの距離が縮まる。不在の恋人/弟を媒介として接近し、タンゴを踊るトムとフランシスの間には、ホモソーシャルとホモセクシュアル、ホモフォビアが複雑に絡み合っている。
だがやがて、恐ろしい事実がトムを現実に目覚めさせる。彼は、その三つの要素のバランスが崩れたときに何が起こったのかを知り、恐怖にとらわれるのだ。 |