ヴィンターベアの集団や心理に対する洞察が際立つのはデビュー作だけではない。代表作『偽りなき者』では、森に囲まれた田舎町で、幼稚園の先生ルーカスと、彼の親友の娘である園児クララのちょっとした気持ちのすれ違いから生まれた嘘が、負のスパイラルを巻き起こし、変質者の烙印を押されたルーカスがコミュニティから排除されていく。ヴィンターベアは、事件の背景に家父長制的な秩序があることも視野に入れて、主人公と住人たちの心理を鋭く読み解いている。
そして本作でも、導入部を観ただけでそんな洞察力が駆使されていることがわかる。哲学者フィン・スコルドゥールが提唱する血中アルコール濃度0.05%の理論。それは、親しい間柄にある4人の教師が仲間の40歳の誕生日を祝う席で交わした会話の話題のひとつに過ぎなかった。ところが、主人公マーティンにとっては、そうではなかった。
妻子との間に深い溝ができ、教師としての意欲も失い、生徒や父兄からその能力を疑問視されているマーティンには、この哲学者の理論が啓示のように響き、ひとりで実践してみる。それを知った仲間たちも、それぞれに現在の境遇について思うところがあり、4人はチームとなり、検証はどこまでもエスカレートしていく。
しかし、本作のヴィンターベアは心理を読み解くだけでなく、そこから一歩踏み出し、特にマーティンを通して人間の変容の可能性を追求している。ではそれはどんな変容なのか。神話学者ジョーゼフ・キャンベルが、人々を魅了する英雄譚の本質に迫った『千の顔を持つ英雄』には、それを理解するためのヒントがある。英雄の冒険は、無意識が起爆剤になる。本書には、普段は気づかない無意識というものが持つ力が、以下のように魅力的に表現されている。
「しかし何かの一言や、風景の中に嗅いだ匂い、お茶のひとすすり、そして一瞬見たものが魔法のバネに触れて、それがきっかけで危険な使者が頭の中に姿を見せ始めることがある。自分自身と家族を組み入れた安全な枠組みを脅かす危険な存在だ。しかしこの危険な使者はたいへんな魅力の持ち主でもある。怖くもあるが望んでもいる自己の探求という、冒険の世界全体を開ける鍵を持ってくるのである。自らが築き上げ暮らしている世界の破壊、その一部となっている自己の破壊。しかし破壊の後には見事な再建があり、より大胆で汚れのない、より高邁で完全に人間らしい生き方が待っている」
この記述には、マーティンに起こることがすべて集約されているといえる。きっかけとなるのはもちろんアルコールだ。安全な枠組みに組み込まれている彼は、最初、それを拒むが、魅力に抗しきれず、冒険の扉を開けて踏み出す。ただし、昔のように家族でキャンプに行くようなことは、アルコールの力を借りた見せかけの再建に過ぎない。自己を確立するためには、破壊を避けることはできない。アルコールに飲まれた彼は、まさに自らが築き上げた世界を破壊し、その後の見事な再建を、特別な力が宿ったかのような躍動するダンスがこれ以上ないくらい明確に体現している。
ヴィンターベアは、アルコールと神話的物語を大胆に結びつけ、マーティンの変容(=イニシエーション)を鮮やかに描き出している。 |