[ストーリー] 1958年、フランクフルト。アウシュヴィッツは知られていなかった――戦後、西ドイツは経済復興の波に乗り、多くの人が戦争の記憶、自分たちが犯した罪を過去のものとして忘れ去ろうとしていた。そんな時、一人のジャーナリストがアウシュヴィッツ強制収容所の元親衛隊員(SS)が、教師をしていることを突き止める。駆け出しの若き検事ヨハンは、上司の引き止めにも耳をかさず、ジャーナリストのグニルカ、強制収容所を生き延びたユダヤ人のシモンとともに、様々な圧力、苦悩を抱えながら、検事総長バウアーの指揮の下、ナチスがアウシュヴィッツでどのような罪を犯したのか、その詳細を生存者の証言や実証を基に明らかにしていく。
そして、1963年12月20日、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判の初公判が開かれた――。(プレスより)
ドイツ在住のイタリア人で、俳優として活躍するジュリオ・リッチャレッリの監督デビュー作で、脚本も手がけています。『ゲーテの恋』、『イングロリアス・バスターズ』のアレクサンダー・フェーリングが、主人公の検事ヨハン・ラドマンを、『ハンナ・アーレント』で若きハンナ・アーレントを演じたフリーデリーケ・ベヒトが、ヨハンと心を通わせるようになるマレーネを演じています。
ニューズウィーク日本版の筆者コラム「映画の境界線」で本作品を取り上げました。お読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。
●「過去の克服」に苦闘するドイツを描く実話 | 『顔のないヒトラーたち』
ペーター・ライヒェルの『ドイツ 過去の克服』から、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判について参考になりそうな記述を引用しておきます。
「裁判全体に影響を及ぼしつづける、ひょっとしてもっとも重大な疑問が、裁判を観察する者に、すでに最初の日々から執拗に浮かんで消えない。つまり、「たいていが非の打ち所がない市民たち――大学教育を受けた人、公務員、商人、職人――が、突然、想像を絶する残虐行為もやりかねなくなったのはどうしてなのか、しかも、戦争が終わるとまた『おとなしい』市民となったのはどうしてなのか」、という疑問である。フランクフルトでは、ニュルンベルク裁判におけるのとは違って、主要責任者たちが法廷に立っているわけではないし、また、イェルサレムのアイヒマン裁判とは違って、「机上の犯罪者」が出廷しているわけでもない。この訴訟で申し開きをしなければならないのは、絶滅収容所アウシュヴィッツ=ビルケナウで、組織犯罪を管理し実行した者たちである。最初の一四日間の公判において、彼らは身上ならびに事件について尋問される」 |