顔のないヒトラーたち
Im Labyrinth des Schweigens / Labyrinth of Lies Labyrinth of Lies (2014) on IMDb


2014年/ドイツ/カラー/123分/スコープサイズ/ドルビーSRD
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(初出:ニューズウィーク日本版「映画の境界線」2015年9月18日更新)

 

 

「過去の克服」に苦闘するドイツを描く実話

 

[ストーリー] 1958年、フランクフルト。アウシュヴィッツは知られていなかった――戦後、西ドイツは経済復興の波に乗り、多くの人が戦争の記憶、自分たちが犯した罪を過去のものとして忘れ去ろうとしていた。そんな時、一人のジャーナリストがアウシュヴィッツ強制収容所の元親衛隊員(SS)が、教師をしていることを突き止める。駆け出しの若き検事ヨハンは、上司の引き止めにも耳をかさず、ジャーナリストのグニルカ、強制収容所を生き延びたユダヤ人のシモンとともに、様々な圧力、苦悩を抱えながら、検事総長バウアーの指揮の下、ナチスがアウシュヴィッツでどのような罪を犯したのか、その詳細を生存者の証言や実証を基に明らかにしていく。

 そして、1963年12月20日、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判の初公判が開かれた――。(プレスより)

 ドイツ在住のイタリア人で、俳優として活躍するジュリオ・リッチャレッリの監督デビュー作で、脚本も手がけています。『ゲーテの恋』、『イングロリアス・バスターズ』アレクサンダー・フェーリングが、主人公の検事ヨハン・ラドマンを、『ハンナ・アーレント』で若きハンナ・アーレントを演じたフリーデリーケ・ベヒトが、ヨハンと心を通わせるようになるマレーネを演じています。

 ニューズウィーク日本版の筆者コラム「映画の境界線」で本作品を取り上げました。お読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。

「過去の克服」に苦闘するドイツを描く実話 | 『顔のないヒトラーたち』

 ペーター・ライヒェルの『ドイツ 過去の克服』から、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判について参考になりそうな記述を引用しておきます。

「裁判全体に影響を及ぼしつづける、ひょっとしてもっとも重大な疑問が、裁判を観察する者に、すでに最初の日々から執拗に浮かんで消えない。つまり、「たいていが非の打ち所がない市民たち――大学教育を受けた人、公務員、商人、職人――が、突然、想像を絶する残虐行為もやりかねなくなったのはどうしてなのか、しかも、戦争が終わるとまた『おとなしい』市民となったのはどうしてなのか」、という疑問である。フランクフルトでは、ニュルンベルク裁判におけるのとは違って、主要責任者たちが法廷に立っているわけではないし、また、イェルサレムのアイヒマン裁判とは違って、「机上の犯罪者」が出廷しているわけでもない。この訴訟で申し開きをしなければならないのは、絶滅収容所アウシュヴィッツ=ビルケナウで、組織犯罪を管理し実行した者たちである。最初の一四日間の公判において、彼らは身上ならびに事件について尋問される」


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ジュリオ・リッチャレッリ
Giulio Ricciarelli
脚本 エリザベト・ベルテル
Elisabeth Bartel
撮影 マルティン・ランガー、ロマン・オーシン
Martin Langer, Roman Osin
編集 アンドレア・メルテン
Andrea Mertens
音楽 ニキ・ライザー、セバスチャン・ピレ
Niki Reiser, Sebastian Pille
 
◆キャスト◆
 
ヨハン・ラドマン   アレクサンダー・フェーリング
Alexander Fehling
トーマス・グニルカ アンドレ・シマンスキ
Andre Szymanski
マレーネ・ウォンドラック フリーデリーケ・ベヒト
Friederike Becht
シモン・キルシュ ヨハネス・クリシュ
Johannes Krisch
エリカ・シュミット ハンシ・ヨクマン
Hansi Jochmann
オット・ハラー ヨハン・フォン・ビューロー
Johann von Bulow
ウォルター・フリードベルク ロベルト・フンガー・ビューラー
Robert Hunger-Buhler
ヘルマン・ラングバイン ルーカス・ミコ
Lukas Miko
フリッツ・バウアー ゲルト・フォス
Gert Voss
-
(配給:アット エンタテインメント)
 

「たとえ訴訟手続きの中心にあったとはいえ、個々の犯行だけが問題ではなかった。アウシュヴィッツという絶滅装置がどのように作動していたのかが、初めてドイツの裁判所によって突きとめられた。被告人たちはすべて例外なしに、自分をこの装置の小さな歯車であったと述べたが、この装置の存在を否認した人は一人もいなかった。ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判について書いたこと、つまり、この歯車を「人間に戻すこと」に、フランクフルトの判事たち、検事たち、そして証人たちは成功した。裁判にかけられたのは、「体制でもなく歴史でもなく」、諸個人だったが、しかし彼らの身上記録を手がかりにして、歴史が目に見えるようになり、ナチズムの意味が、その生成と動員成功の社会的諸条件から、また、犯罪的体制の機能を顧慮して、理解されるようになり始めた。それには大新聞の報道も欠かすことのできない貢献を果たした。『ヴェルト』紙は、市民としての生活史の略歴を添えて被告人たちを紹介し、『フランクフルター・ルントシャウ』紙も、ナチ体制という特殊な状況下であったればこそ、国家により組織され正当化された犯罪の共犯者となってしまった、そういう諸個人が被告たちである、という問題なのだ、と強調した」

《参照/引用文献》
『ドイツ 過去の克服』ペーター・ライヒェル●
小川保博・芝野由和訳(八朔社、2006年)

(upload:2015/09/23)
 
 
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