アバシの場合は、二枚のInvocation作品の間にリリースしたアコースティック・カルテットRAAQによる『Natural Selection』 がそれを物語る。簡単にいえば、これまで培ってきたものを、パキスタン/インド音楽よりも、よりジャズに引きつけたところで展開しようとしている。
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これに対して、アバシとジャスティン・アダムズがプロデュースを手がけたアルワリアのニューアルバム『aam zameen : common ground』 は、より大胆にグローバルな方向性を打ち出している。こちらもすごくいいアルバムで、近いうちに取り上げるつもりなので、ここでは詳しく触れない。
では、アバシとアルワリアがまったく違う方向に進んでいるのかといえば、決してそんなことはない。たとえば、それは、スタイルは違うのに、どちらもパキスタンのカッワーリーの第一人者だったヌスラット・ファテ・アリ・ハーン の音楽を強く意識していることでもわかる。
『Natural Selection』にも、『aam zameen : common ground』にも彼の曲が取り上げられている。そして『suno suno』でアバシが強く意識しているのもカッワーリーが生み出す一体性なのだ。ちなみに、Invocationという言葉には、儀式のはじめに唱える祈祷の意味があり、カッワーリーと無関係ではない。
さらにもうひとつ意識されているのが、60年代のジャズ、特にインドへと接近していったコルトレーン・カルテットだろう。アバシは、カッワーリーのスピリチュアリティを取り込むことで、現代にそんなサウンドを新たに生み出そうとしている。
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その方向性は、ヴィジェイ・アイヤーやルドレシュ・マハンサッパのそれともうまく絡む。アイヤーは『Historicity』 や『tirtha』 で明らかに60年代のジャズやコルトレーンを意識していた。マハンサッパの『Kinsmen』 や『Apti』 には、ミンガスやオーネット・コールマンを髣髴させる要素があった(本人にはそんな意識はないかもしれないが)。
それからアルバムのタイトルにも注目すべきだろう。(パキスタンの公用語である)ウルドゥー語のsuno sunoは英語にするとlisten listenになるという。アバシが求めているのは、個人が高度なテクで自己主張する音楽ではなく、相手を受け入れ、カッワーリーのように境界がなくなるような一体性といえる。
筆者はアバシの『Things To Come』 のレビューで、インドの経済学者アマルティア・センの『議論好きなインド人――対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』を引用しつつ、アバシ、アイヤー、マハンサッパの音楽には、他者を受容し、音楽で対話するインド的な特性があるというようなことを書いたが、彼らはまさにそういう感覚を拡張し、ジャズに新しい血と知を注ぎ込もうとしているように見える。