アメリカの新鋭ショーン・ダーキンの長編デビュー作『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は、ヒロインのマーサがカルト集団の農場を密かに抜け出すところから始まる。森を抜け、町に出た彼女は、取り乱しながら姉に電話する。結婚したばかりの姉は、建築関係の仕事をする夫と休暇を過ごしているところで、マーサは湖畔の豪華な貸別荘に迎えられる。しかし、彼女の精神状態は不安定で、現在とマーシー・メイという別の名前で過ごした過去、現実と幻想の区別がつかなくなっていく。
この映画はそんなヒロインの視点に立ち、緻密にして巧妙な編集によって現在のドラマと過去の体験の境界が曖昧にされている。その映像は確かに効果的で、私たち観客も混乱させられる。一般的に言えばこれは、マインド・コントロールの恐ろしさを生々しく描き出しているということになるはずだ。だが、「普通」と「異常」という二つの世界があって、その境界が崩れていく映画であれば、筆者はさほど興味をそそられなかっただろう。
実は筆者は映画を観る前から、製作総指揮にテッド・ホープの名前があることに注目していた。トッド・ヘインズの『SAFE』、アン・リーの『アイス・ストーム』、トッド・ソロンズの『ハピネス』や『ストーリーテリング』、トッド・フィールドの『イン・ザ・ベッドルーム』、マイク・ミルズの『サムサッカー』などを思い出してみれば、この新人発掘の達人がどんな関心を持っているのかわかるだろう。突き詰めれば、いずれも独自の視点で家族をとらえ、普通に見えるものから普通ではないものを炙り出す作品といえる。
なかでもここで『SAFE』を振り返っておくことは決して無駄ではない。この映画のヒロインは、LAのサンフェルナンド・ヴァレーにある高級住宅地に暮らす主婦だ。ある日、彼女は化学物質過敏症に襲われる。そして苦痛に耐えられなくなると豪邸を出て、カルトといっていいようなコミューンに移り、なにも無い小さなドームに暮らし、自分は救われたと信じようとする。
だが、ヘインズは化学物質過敏症を描こうとしたわけでも、コミューンを描こうとしたわけでもない。実はヒロインは、安全が確保された高級住宅地に暮らしているにもかかわらず、LAのインナーシティで起こっている犯罪や暴動に恐怖を覚えている。それがどんな心理であるかは、マイク・デイヴィスの『要塞都市LA』の以下のような記述が端的に物語っている。
「ロサンゼルス・サウスセントラルやワシントンDCのダウンタウンのように、実際に街での暴力事件が急増した場所であっても、死体の山が人種あるいは階級の境界を越えて積み上げられることは滅多にない。だがインナーシティの状況について直接肌で感じた知識を持ち合わせていない白人中産階級の想像力の中では、認識された脅威は悪魔学のレンズを通して拡大されるのだ」 |