トッド・ソロンズ
1959年10月15日アメリカ、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。ラビ(ユダヤ教の聖職者)志望であったが、あるときから脚本家を目指すようになった。イェール大学卒業後、ニューヨーク大学フィルムスクールに入学。そこで製作した3本の短編"Feelings"、"Babysitter"、"Schatt's
Last Shot"が映画祭で賞を受け、在学中からインディペンデント・フィルム界で注目を浴びる。"Schatt's Last Shot"にはスタンフォード大入学を目指す高校生役で出演もしている。卒業後、人気TV番組「サタデー・ナイト・ライブ」のために短編"How
I Became a Leading Artistic Figure in New York City's East Village Cultural Landscape"を製作する。89年に脚本・監督をつとめた"Fear,
Anxiety and Depression"をL.A.で発表する。これはある脚本をサミュエル・ベケットに送りつけて共同製作を提案したという実話を題材にしたソロンズのほぼ自叙伝的な作品である。しかし、興行的には失敗であった。N.Y.に戻ってロシア移民の英会話学校に勤めながら脚本を執筆した『ウェルカム・ドールハウス』(96/監督・脚本・プロデュース)がサンダンス映画祭でグランプリを受賞する。ニュージャージーを舞台に、学校でも家でも疎外され、それでもひたむきに生きる少女ドーンの不器用な青春を描いたこの作品はトロント映画祭やベルリン映画祭でも賞を受賞し、世界中で大反響を巻き起こした。『プリティ・プリンセス』などで今や大活躍のヘザー・マタラーゾを世に送り出した作品としても名高い。98年に監督・脚本を務めた『ハピネス』は再びニュージャージーを舞台に中流家庭に育った3姉妹と彼女らを取り巻く人々の「幸せ」を描き、カンヌ映画祭批評家賞を受賞。ジョン・ウォーターズ監督は「この10年で最高の1本」と激賞し、米プレミア誌の年間ベスト100では堂々の4位に輝いた。続いて監督・脚本を務めた『ストーリーテリング』は01年カンヌ映画祭やニューヨーク映画祭、サンダンス映画祭に出品され、ゴールデン・グローブ賞最優秀脚本賞にノミネートされた。これまたニュージャージーを舞台にアメリカ社会における人種、階級、障害、性、学歴…あらゆるモラルに対するタブーをえぐりだし、ニューヨーク・タイムズ紙ではその年のベスト10にランキングされている。先ごろ行われたストックホルム映画祭04では、現代作家の業績を称え、奨励する目的で創設されたVisionary
Awardという賞がトッド・ソロンズに与えられた。
「あれは、サンシャイン一家に対する自分なりの風刺だ。もう一方の世俗的でリベラルな家族に対する風刺ももちろんあるけど、サンシャイン一家に対する風刺の方がキツイと自分でも思う。映画で使っている忠誠の言葉は、オリジナルではないけれども、僕の創作ではなく実際にあるものだ。アメリカに広がるバイブルベルトのなかで書き直されたもので、彼らは中絶反対派だから、最後の部分に「生まれた者も生まれなかった者も(born
and unborn)」という言葉が入っているんだ。
アメリカでは、最初の200年間は、国家と教会の間に基本的で明確な境界線が引かれていたけど、確かにいまはそれが揺らいでいる。信仰について問われれば、国民の46%が福音主義的だと答え、その他にもプロテスタントやカトリックなどいろいろいるのだから、宗教的で厳格な国民であることは間違いない。そして大統領選で赤と青の州がはっきり分かれるように、保守とリベラルの二極化が進んでいる。この映画には確かにそんな現実が反映されているけど、作っているときにはそれを意識していたわけではなく、できあがってから気づいたんだ」