トッド・ソロンズ・インタビュー

2005年 新宿 パークハイアット東京

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(初出:「STUDIO VOICE」2005年5月号)

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――ボーンアゲイン・クリスチャンというと、ブッシュがその信仰に目覚めることで自堕落な生活から立ち直ったという話も思い出されるのですが、この映画では、その"born-again"という言葉や、先ほどの忠誠の誓いにも出てきた"unborn"という言葉からイメージを膨らませ、ドラマを作っているところがあるように思います。たとえば、家出したアビバが、生まれなかった娘の名前であるヘンリエッタを名乗り、生まれ変わろうとするのは、"unborn"から"born-again"への移行といえると思うのですが。

「その質問は、この映画の核心に触れている。アビバは、子供を生むことで生まれ変わることを望み、実際に別の人間に生まれ変わろうとする。この映画では、アイデアと言葉が遊びの感覚で相互に結びつき、登場人物それぞれの多様で複雑な哀しみや痛みを照らし出していく。生まれ変わることで、過去を消し去ったり、最初から自分を作り直すことができるというのは、極めてアメリカ的な発想で、それは幻想にすぎないのに、とても深く根を下ろしている。僕は、その生まれ変わることをめぐって登場人物たちが苦闘し、自分を受け入れたり、愛を探そうとするところに、なにかとても心を動かされるんだ」

―一映画の終盤では、アビバの従兄マークが、「自分が変われると思うのは間違いだ。人はずっと同じだ。自由意志はない」と語ります。この映画では、生まれ変わることと変われないことがせめぎ合い、重要なテーマになっているように思えるのですが。

「そう、この映画の中心的なテーマは、"変化"対"静止"なんだ。このマークの台詞は、かなりゆるいメタファーではあるけど、自分では回文的だと思っている。回文には、いろいろな方向に向かうのではなく、常に自分に返ってくるというような性質がある。つまり、合せ鏡のように始まりと終わりでまったく同じ性質を持っている。人間とはそういうものだと思うんだ。マークの無神論的な考え方は、実はかなり僕のそれに近い。僕の場合は彼ほど悲観的で暗くはないけれど、たとえば自由意志に関しては、幻想だと思うし、うぬぼれだとも思っている。人間が変われないということは、もし自分自身の限界や欠陥などを受け入れることができるならば、その人を解放することに繋がると思う。それが、"静止"のよい面なんだ。
 この映画の冒頭で、母親はアビバに、あなたは何があってもあなただという。そして映画の最後のカットで、アビバ自身がママになるんだというとき、彼女は冒頭と同じものを求め、まったく変わっていない。ちなみに、ママ(Mom)という言葉も回文だが、もっと重要なのは、彼女のイノセンスが終始一貫して変わらず、たとえ肉体的に母親になることができないとしても、ママ・サンシャインのような母親になれるかもしれないということだ。
 このアビバと対照的なのが、彼女の母親とアビバを妊娠させてしまうジュダという少年、そしてアビバが恋をするボブだ。彼らは、変わりたい、向上したいという思いを口にするが、変わることができない。それぞれに自分のアイデンティティに囚われ、変われないんだ。アビバと彼らの対比からは、"変化"対"静止"というテーマが浮き彫りになる。マークは、体重が25キロも増減しようが、性転換手術を受けようが、人間は本質的には変わらないと語る。アビバは、様々な役者によって演じられ、外見的には変化していくけど、マークの言葉を地で行くように本質は何も変わらない。そんなアビバとこの3人の対比には、変わることと変わらないことをめぐるパラドックスがあり、そこから人間が見えてくるんだ」

――あなたのこれまでの作品では、サバービアやアメリカ社会に対する独自の切り口や風刺などが、ドラマのなかでいくつかのポイントに集約されていたのに対して、この新作には、そういうポイントがあるのではなく、ドラマの至るところからリアリティが滲み出し、気づいてみるとその世界に深く引き込まれているという印象を受けるのですが、あなたは、これまでの作品と新作では表現に大きな違いがあると思いますか?


 
―おわらない物語‐アビバの場合‐―


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   トッド・ソロンズ
Todd Solondz
撮影 トム・リッチモンド
Tom Richmond
編集 モーリー・ゴールドステイン、ケヴィン・メスマン
Mollie Goldstein, Kevin Messman
音楽 ネイサン・ラーソン
Nathan Larson

◆キャスト◆

ジョイス(アビバの母)   エレン・バーキン
Ellen Barkin
ジョー/アール/ボブ スティーヴン・アドリー=ギアギス
Stephen Adly Guirgis
スティーヴン(アビバの父) リチャード・メイサー
Richard Masur
‘マーク’アビバ ジェニファー・ジェイソン・リー
Jennifer Jason Leigh
ママ・サンシャイン デブラ・モンク
Debra Monk
‘ママ・サンシャイン’アビバ シャロン・ウィルキンス
Sharon Wilkins
マーク・ウィーナー マシュー・フェイバー
Matthew Faber
‘ハックルベリー’アビバ ウィル・デントン
Will Denton
(配給:アルバトロス・フィルム)
 


「僕は映画作家として、常に行ったことのない場所に行きたいと思っているし、この新作にはとても誇りを持っているけど、表現をどうとらえるかは、観る人たちの解釈に委ねたいと思う。ひとついえることがあるとすれば、僕は自分の映画をいつも哀しいコメディというように表現するんだけど、そういう意味では、この新作はこれまでのなかで最も哀しいコメディだね」

――あなたは先ほど、アビバが、「たとえ肉体的に母親になることができないとしても」と語っていましたが、私は、映画のラストについて異なる解釈をしていました。アビバと再会したジュダはオットー(Otto)という回文の名前に改名していて、回文と回文が交わることによって、アビバが逆戻りしていく。ということは、彼女は失った子宮を取り戻し、それが極めつけの回文となると考えたわけです。この回文というアイデアは、最初から頭にあったことなのでしょうか?

「僕は最初から明確な方向性を持って書いていくタイプではない。アイデアやイメージ、映像などが、頭のなかをぼんやりと漂っていて、これは何についての物語だろうと考えていくうちに、だんだんと発見していく。それで、書き上げたときに、ああ、こういう物語だったのかと思うんだけど、撮影に入ってしまうと、またまったく違った物語に変わっていく。編集も同じだ。いつもそういう傾向があるんだけど、編集の段階でかなりの部分を削ぎ落としてしまい、まったく変わる。だから、なるほどこういうふうに繋がっているのかということをいまだに発見している状態なんだ。あなたのラストのとらえ方は、非常に美しい解釈だと思うし、その視点にはある種の真実があると思う。だから、自分のなかでロジックが成り立っているのであれば、そのように書いてもらいたい。僕自身ですら、作品のすべてを理解しているとはとてもいえないんだから」

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(upload:2007/01/28)
 
 
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