真理の箱舟≠ニ呼ばれるカルト教団が無差別殺人事件を引き起こし、実行犯は教団の手で殺害された。実行犯の遺族たちは、年に一回集まり、家族の遺灰が撒かれた山奥の湖を訪れていた。ところが3年目の夏、湖から帰ろうとした彼らは、車が跡形もなく消えるというトラブルにあい、そこに居合わせた元信者の男とともに、かつて信者が暮らしていた山小屋で一夜を過ごすことになる。
『ディスタンス』に描かれるのは、無差別殺人事件を引き起こした加害者の遺族たちのその後である。彼らは山小屋のなかで過去と向かいあい、家族を亡くした哀しみと身内から犯罪者を出した罪悪感に揺れる。是枝監督は、手持ちカメラを使い、人工の照明や音楽を排した禁欲的なスタイルで、彼らを見つめる。
しかし過去が鮮明に甦ってきても、遺族たちがそこに、加害者と自分をここまで隔てることになった明確な原因を見出せるわけではない。日常生活におけるささやかなすれ違いに思えたものが、いつしか深い溝になっていたのだ。そんな遺族とわれわれの距離は次第に縮まっていく。
現代では、伝統的なコミュニティが解体し、最小の集合体である家族までもが資本主義体制に組み込まれている。家族の営みは確実に消費行為に置き換えられ、家族は消費社会に有用な個人の集合体でしかない。そんな現実に対する疑問が、家族のなかに溝を生み、家族を否定するコミュニティを作り、時として社会に対する脅威ともなる。市場万能主義を背景とした自己責任の原則をあらゆる領域で受け入れれば、誰もがその代償を払うリスクを背負うと同時に、常に間接的な加害者/被害者となるのだ。
この映画で、秘密を抱え、偽りの家族と記憶を生きてきた遺族のひとりは、最後に真実を直視する。それは彼が、遠い存在だった教団の教祖を自分の内部に取り込むことを意味する。脅威をただ排除するのではなく、自分の一部とすること、そこから壊れた家族、そして社会の再生が始まるのだ。
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