オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こし、全国の教団施設に強制捜査が入ったのは95年のこと。それから10年が経とうとするいま、オウムを題材にした『カナリア』を撮った塩田監督にまず確認すべきなのは、彼の中で事件がどのように記憶され、関心の出発点になっていたのかということだろう。
「事件が起きた時、親近感というと語弊がありますが、同世代のとんでもない事件をリアルに実感できるという感じがありました。オウムの幹部はほとんど年齢が同じでしたし、当時は世田谷道場の近くに住んでいたこともあって、日常的に彼らを見ていて、彼らが配る冊子を読んでもいました。それで、事件以前に多少の関心を持っていた教団が、こういう事件を起こしたことに驚きもありましたが、一方でそういうことが起きるような気もしたんですね。当時はまだ映画監督でもなく、脚本を書いている時期だったんですが、このことについて映画の側から答えなければいけないという思いに駆られました。ただ、現実があまりにもすごすぎて、どうにも対抗しようがないというのが正直なところでした」
塩田監督がその答えとして選択したのは、カルトの子供の物語だった。教団がテロ事件を起こし、施設に保護された12歳の光一は、新しい環境に順応することを拒み、脱走して自力で道を切り開こうとする。
「オウム関連の本を定期的に読みつつ、監督としてはまったく違う方向の作品を撮ってきて、切り口を見つけたのは、『害虫』を撮り終えた頃ですね。次の作品の題材として、ある少年の話が頭にありました。たとえば、孤児を引き取って育てる人たちがいるわけですが、親の立場に立つ人が子供を選ぶとはどういうことなのか、子供というのは選ばれるしかないのだろうか、ということを考えていて。たまたまその時に、オウムの話も時間が過ぎていくばかりだと思い、理屈はすべて忘れて、何が印象的だったか振り返ってみた。いくつか思い浮かんだうちのひとつが、サティアンから保護された子供たちの殺気だった顔でした。それが、以前テレビで観たカンボジアの辺境で戦い続けるポルポト派のドキュメント映像と結びついたんです。ポルポト派は子供まで動員して総力戦をやっていたんですが、あ、そうなんだ、サティアンの子供たちの目つきが、ポルポト派の少年たちとそっくりなのは、彼らが戦火の子供たちだからなんだと思ったんです。オウムの事件は内戦なんだと。そのへんから何か作れるかもしれないと思い、最初の少年の話とクロスしていったんです」
塩田監督はこれまで、10代を主人公にした作品を通して、様々なかたちのイニシエーション、すなわち通過儀礼を描きだしてきた。彼は、現代における通過儀礼を、どのように考えているのだろうか。
「自分の中ではそういうことに対するこだわりがあったわけではないと思うのですが、言われてみると確かに、主人公がひとつの通過儀礼を経て変わっていくようなストーリーを語っていますね。社会が通過儀礼の規範を用意できなくなり、それぞれのやり方で、何が通過儀礼かわからないままそこを通過していかなければならない。そういう混乱に陥れられているのがいまの子供たちで、高度成長期が終わってからは、混迷の度合いがさらに深まっていると思います。『どこまでもいこう』ならまだ、僕の子供時代が反映され、高度成長期の子供の雰囲気が残ってますが、『カナリア』ではもう、通過儀礼の規範が社会から完全に失われ、それぞれに自分で見つけ出していかなければならない。そういう時代になってしまったんだとあらためて感じます」
『カナリア』では、光一の試練の旅に由希という少女が加わることで、イニシエーションに対する視点がさらに興味深いものとなる。イニシエーションが失われた戦後社会のなかで、オウムはそれを前面に出すことで拡大していった。つまりこの映画では、光一と由希を通して、その本質はどうであれイニシエーションを重視した教団とそれを失った社会というふたつの世界が対置されていくのだ。
「そこまで言葉では明確になってなかったんですが、僕が直感的につかもうとしていたのはそういうことなんだと思います。僕の中で『害虫』という作品には達成感があり、光一だけを立てていくと、それより先に進めない感じがしたんです。光一は、何かを強要され、捨てられるわけですが、そこでさらに、他人の言葉を操る彼が、自分を問い詰めてくる言葉に答えていかなければならない状況に陥ってほしかった。そういう人間が必要だと思ったときに、中国自動車道で手錠をされたままワゴン車から落ちて死んだあの少女の顔が浮かんできたんです。顔を見ただけでも、すごくバイタリティがあって、好きになれる子だった。父親の暴力から逃げて何度も児童相談所などに行って、一方で援助交際をやってる。ああいう子が(相手役に)来ればいいと思ったんですが、やはり個人的なデータは見つからなかった。それで自分で考えていたら、ある晩、寝ている時に頭の中でその子が猛烈なスピードで喋り始めて、慌てて起きてメモをとったんです。それが由希の言葉になった。あんな体験は初めてで、その時は興奮しました」 |