サムサッカー
Thumbsucker


2005年/アメリカ/カラー/96分/シネスコ/ドルビーSR・SRD
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(初出:「キネマ旬報」2006年9月下旬号)

 

細分化した孤立、自主規制、
そして「道徳的最小主義」の文化

 

 『サムサッカー』の舞台は、建築中の住宅も目につくような、いままさに増殖しつつあるサバービア(郊外住宅地)だ。17歳の主人公ジャスティンは、サムサッキング(親指を吸う癖)≠ノ悩んでいる。その癖のせいで、両親や友人との関係がぎくしゃくしているのだ。苛立つ父親は、無理やり矯正しようとする。放任を決め込む母親は、テレビの人気俳優に夢中になっている。そして、彼が想いを寄せる同級生ともうまく打ち解けられない。困り果てた彼は、親しい歯列矯正医が勧める催眠術、さらには向精神薬やマリファナなどに次々と救いを求め、その度に甘い夢に酔い、挫折を繰り返していく。

 だが実は、悩みを抱えて孤立しているのは彼だけではない。マイク・ミルズは、思い通りにならない人生に悩む登場人物たちの迷走を通して、現代のサバービアにおける個人の有り様を、リアルに描き出していく。マルチなクリエーターの長編デビュー作といえば、映像表現に個性が発揮されていても、底の浅いドラマになっているのではないかと思いたくなるところだが、ミルズは、そんな予想を見事に裏切ってみせるのだ。

 この映画を観ながら、筆者が思い出すのは、現代のアメリカにおけるコミュニティの崩壊や市民参加の衰退の実態を、膨大なデータを通して浮き彫りにしたロバート・D・パットナムの『孤独なボウリング』のことだ。人と人の繋がりが希薄になる要因には、郊外化も含まれ、その具体例のひとつとして以下のような記述がある。

「民族誌学者のM・P・バウムガートナーがニュージャージーの郊外コミュニティに住んでいたとき、彼女が見いだしたのは1950年代の古き郊外に起因する強迫的な連帯感よりも、細分化した孤立、自主規制、そして「道徳的最小主義」の文化だった。郊外の特徴というのは小さな街のつながりを求めるのではなく、内側に閉じこもり、近所に何も求めず、お返しも何もしないというものだった」


◆スタッフ◆

監督/脚本   マイク・ミルズ
Mike Mills
原作 ウォルター・カーン
Walter Kirn
製作 アンソニー・ブレグマン、ボブ・スティーヴンソン
Anthony Bregman, Bob Stephenson
製作総指揮 アン・キャリー、テッド・ホープ、ボブ・ヤーリ、キャシー・シュルマン
Anne Carey, Ted Hope, Bob Yari, Cathy Schulman
撮影監督 ホアキン・バカ=アセイ
Joaquin Baca-Asay
編集 ヘインズ・ホール、アンガス・ウォール
Haines Hall, Angus Wall
音楽

ティム・デラフター、エリオット・スミス
Tim DeLaughter, Elliott Smith


◆キャスト◆

ジャスティン   ルー・プッチ
Lou Pucci
ペリー・ライマン キアヌ・リーヴス
Keanu Reeves
オードリー ティルダ・スウィントン
Tilda Swinton
マイク ヴィンセント・ドノフリオ
Vincent D'onofrio
ジョエル チェイス・オファーレ
Chase Offerle
マット・シュラム ベンジャミン・ブラット
Benjamin Bratt
レベッカ ケリ・ガーナー
Kelli Garner
ギアリー先生 ヴィンス・ヴォーン
Vince Vaughn

(配給:ソニー・ピクチャーズ)
 
 


 『サムサッカー』のドラマには、そんな現実が反映されている。簡単にいってしまえば、登場人物が悩みを抱えていても、相談したり、心を開ける人がいないということだ。ジャスティンが、自分から誰かに悩みを打ち明けることはない。そして、支えになる人がいなければ、催眠術や向精神薬、マリファナなど、人ではないものに依存し、逃避するしかなくなる。

 ジャスティンの両親は、息子に自分たちのことをファースト・ネームで呼ばせている。DadやMomでは年を感じるからだ。サバービアでは、すべてが新品の状態から生活が始まり、それがずっと続くかのような幻想が生まれる。その幻想は、人が年を取ることを許さない。もしこの両親と隣人との間に多様な繋がりがあれば、彼らは年を取る自分を受け入れられるかもしれない。しかし、彼らにも支えとなる人がいない。だから、母親は、テレビの人気俳優に夢中になり、かつてフットボール選手になる夢を怪我で断念した父親は、若さを証明するためだけに、地元で開かれるレースに参加する。

 さらに、ジャスティンが好意を持つ同級生や歯列矯正医、ディベート部顧問の教師にも、同様のことがいえる。この映画の登場人物たちはみな、本来の自分と向き合うことを恐れ、他者を利用したり、人ではないものに依存することによって、逃避しているのだ。

 ミルズが、そうした個人の有り様に強い関心を持っていることは、ウォルター・カーンの原作小説(残念ながら未訳)と対比してみることで、より明確になるだろう。

 原作は、80年代に設定され、ジャスティンが、親指の代わりに口を埋めるものを探す冒険の物語になっている。彼は、風邪薬や向精神薬、酒、煙草、マリファナからフライフィッシングで釣った魚まで、片っ端から口に入れようと目論む。そんな物語には、かなり強烈なユーモアが散りばめられている。たとえば、映画には、ジャスティンが、催眠術によって守護獣を獲得するというエピソードが出てくるが、原作にはその続きがある。アウトドア派であるジャスティンの父親が、守護獣である鹿を捕らえ、その鹿は彼の目の前で悲惨な運命をたどるのだ。また、ジャスティンは、成り行きで赤ちゃん泥棒までやらかすことになる。

 ミルズは、時代背景を現代に変え、強烈なユーモアや奇抜なエピソードを削り、ドキュメンタリー的な視点を持ったドラマを作り上げた。パットナムは『孤独なボウリング』のなかで、コミュニティの崩壊や市民参加の衰退が、70年代に始まり、80年代から90年代にかけて加速したと書いている。80年代に顕在化した現象は、いまや完全な日常と化し、この映画はそんな現代の日常に迫っていく。

 ミルズがこだわるのは、閉塞的な日常を生きる人々のリアリティであり、決してそこから安易な答を引き出そうとはしない。現代では、誰もが孤立し、依存し、逃避している。ジャスティンがそのことに気づくとき、彼は、世界を相対的に見られるサムサッカーへと成長を遂げているのだ。

▼マイク・ミルズ監督最新作『人生はビギナーズ』


《参照/引用文献》
『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』●
ロバート・D・パットナム 柴内康文訳(柏書房、2006年)
“Thumbsucker”●
by Walter Kirn(Anchor, 1999)

(upload:2007/02/17)
 
 
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