カモン カモン
C'mon C'mon


2021年/アメリカ/英語/モノクロ/108分/ヴィスタ/5.1ch
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(初出:)

 

 

「普通」という基準に縛られる/逃げることなく
人それぞれのありのままの姿を見つめ、受け入れるための旅

 

[Introduction] NYを拠点にアメリカを飛び回るラジオジャーナリストのジョニーは、LAに住む妹が家を留守にする数日間、9歳の甥・ジェシーの面倒を見ることに。それは彼にとって、子育ての厳しさを味わうと同時に、驚きに満ち溢れたかけがえのない体験となる。監督は、『サムサッカー』『人生はビギナーズ』『20センチュリー・ウーマン』マイク・ミルズ。父親になった彼が子育て中に経験した数々の“想定外”の出来事にインスパイアされたストーリー。

 ミルズを反映させたジョニーを演じるのは、『ジョーカー』で4度目のノミネートにしてアカデミー賞主演男優賞を受賞し、名実ともにハリウッドの頂点に立ったホアキン・フェニックス。そんな名優に引けを取らない天才ぶりを見せているのが、ジェシーを演じたウディ・ノーマン。イギリス人でありながら、完璧なアメリカ英語でオーディションに望んだ彼がアドリブで演じたシーンは、ジェシーというキャラクターの知性を見事表現しており、ミルズもホアキンも衝撃を受け、即座に出演が決まったという。(プレス参照)

[Story] アメリカ中を回って子供たちにインタビューしているラジオジャーナリストのジョニーは、認知症を患っていた母が1年前に逝って以来、妹のヴィヴと疎遠になっていたが、彼女が、トラブルを抱えた別居中の夫ポールを手助けするためロサンゼルスからオークランドに行くことを知り、その間、9歳になる彼女の息子ジェシーの面倒を見ることになる。ヴィヴの家を訪れたジョニーは、ユニークな性格のジェシーに戸惑いながらも、次第に打ち解け合っていく。

 ポールの状態がよくないため、ヴィヴはオークランド滞在を延ばすことになり、仕事のスケジュールが入っているジョニーは、ニューヨークのアパートにジェシーを連れて戻る。ジョニーは、ジェシーに音響機器の使い方を教えたり、子供たちへのインタビューに同行させたりする。しかし、ジェシーはホームシックにかかり、いらだちをブチまけ、ふたりの間はギクシ ャクする。途方に暮れたジョニーは、ロサンゼルス行きの航空チケットを購入するが、ジェシーはトイレに立て籠ってしまう。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   マイク・ミルズ
Mike Mills
撮影 ロビー・ライアン
Robbie Ryan
編集 ジェニファー・ヴェッキアレッロ
Jennifer Vecchiarello
音楽 ブライス・デスナー、アーロン・デスナー
Bryce Dessner, Aaron Dessner
 
◆キャスト◆
 
ジョニー   ホアキン・フェニックス
Joaquin Phoenix
ジェシー ウディ・ノーマン
Woody Norman
ヴィヴ ギャビー・ホフマン
Gaby Hoffmann
ポール スクート・マクネイリー
Scoot McNairy
ロクサーヌ モリー・ウェブスター
Molly Webster
ファーン ジャブーキー・ヤング=ホワイト
Jaboukie Young-White
-
(配給:ハピネットファントム・スタジオ)
 

[以下、短いコメントになります]

 前作『20センチュリー・ウーマン』のコメントでも書いたように、マイク・ミルズ監督が描こうとすることは、『サムサッカー』以来、基本的には変わっていない。彼がこだわるのは、閉塞的な日常を生きる人々のリアリティであり、決してそこから安易な答を引き出そうとはしない。現代では、誰もが孤立し、依存し、逃避している。彼は、登場人物たちの行動が傍目にはいかに奇妙に見えても、それらを多様性として肯定し、受け入れていく。

 たとえば、前作に登場する写真家のアビーは、セックスするために人物や設定など架空の物語を必要としていた。本作では、ジョニーの妹ヴィヴと彼女の息子ジェシーが、”死んだ子の母親”と”親のない子”という架空の物語を必要とし、関係を築いている。傍から見ればかなり奇妙で、あまり気持ちよくない感じもするが、ミルズはそれも多様性のひとつとして肯定的に受け止める。

 ミルズの作品で大きく変化してきているのは、身近な日常や悩める人々を描くスタイルだ。『サムサッカー』では、ドキュメンタリー的な視点を持ったドラマを作り上げていた。『人生はビギナーズ』では、時間軸を自在に操ることで、物語を構成する三つの流れを巧みに縒り合せていた。『20センチュリー・ウーマン』では、ドラマのなかに登場人物たちのプロフィールを挿入したり、未来から1979年という現在を振り返る視点を盛り込むなど、視点を重層化するような仕掛けが施されていた。

 前作までは技巧の進化が目に見えていたが、本作では脚本が洗練され、美しいモノクロの映像と相まってそれが表に出なくなった。

 ジョニーはジェシーに振り回され、理解に苦しむ。そのときに、「もっと普通でいいだろう」という。言葉にはしなくても、他の場面でも心のなかでそう思っている。しかし、普通などというものはない。それは大人が逃げ場にするような言葉だ。

 本作で素晴らしいのは、ジョニーがデトロイト、ロサンゼルス、ニューヨーク、ニューオーリンズをめぐり、そこに暮らす子供たちにインタビューする姿が挿入されていることだ。そのインタビューからは子供たちの多様性が見えてくる。そしてジェシーの行動もその多様性のひとつといえる。

 ジョニーは、母親の介護をめぐって妹のヴィヴと対立し、兄妹は疎遠になっているが、久しぶりに妹と会い、ジェシーをめぐって彼女と連絡を取り合うようになったジョニーは、彼女が少し変わったと感じる。それは、ヴィヴがジェシーを育てながら、「普通」に逃げるのではなく、多様性を受け入れるようになったからだろう。そして、ジョニーも多様性を受け入れることで変化していく。

 ミルズは「普通」という基準に縛られることなく、人それぞれのありのままの姿を見つめ、受け入れる。だから登場する誰もが自然体でドラマに深みがある。美しいモノクロの映像や技巧を感じさせない洗練された脚本など、もはや円熟の境地に達しているといってもいい。


(upload:2022/04/30)
 
 
《関連リンク》
マイク・ミルズ 『20センチュリー・ウーマン』 レビュー ■
マイク・ミルズ 『人生はビギナーズ』 レビュー ■
マイク・ミルズ 『サムサッカー』 レビュー ■
サバービアの憂鬱――アメリカン・ファミリーの光と影 ■

 
 
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