ロマン・ポランスキーの『ゴーストライター』の主人公は、元英国首相アダム・ラングの自叙伝執筆を依頼されたゴーストライターだ。彼はラングが滞在するアメリカ東海岸の孤島を訪れるが、執筆の作業には不穏な出来事がつきまとう。
前任のライターの事故死には不明な点があった。ラングが対テロ戦争で拷問に加担したというニュースが流れ、マスコミが押し寄せる。ラングの過去を調べだした彼は、いつしか国際政治の暗部に踏み込んでいる。
ラングがトニー・ブレア元首相にダブり、対テロ戦争におけるイギリスとアメリカの関係が物語の鍵を握ることが、サスペンスを盛り上げる。しかし、それ以上に印象に残るのが、登場人物や場所が醸し出す独特の空気だ。
イエジー・スコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』と同じように、この映画には、戻るべき場所を失ったディアスポラとして、目の前の世界ががらりと変わってしまうような体験をしてきたポランスキーの感性が反映されている。
スコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』では、米軍の捕虜となった主人公がどこでもない場所で誰でもない存在になっていく。
『ゴーストライター』の原作であるロバート・ハリスの同名小説の冒頭には、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』からこんな言葉が引用されている。「私は私ではない。あなたは彼でも彼女でもない。彼らは彼らではない」
この映画には、いろいろな意味 でゴーストが存在している。主人公は、たとえ何を知ろうが存在しないはずの“ゴースト”と位置づけられ、名前も与えられない。しかし、地位や経歴を誇る人間が本当に力を持っているとは限らない。
ラングと彼を取り巻く人物たちとの関係は見た目とは違う。彼らのなかには、自分が書いたシナリオ通りに周囲の人間を操り、支配する人物が潜んでいる。
主人公とその人物はコインの裏表ともいえる。皮肉な結末も含めて、黒幕的な存在を、似て非なるゴーストライターが際立たせているからだ。 |