ジョニー・デップは、自分のなかに矛盾を抱えながら、映画界で独自の地位を築き上げてきた。その矛盾は、十代のデップが、左腕と右腕に入れていた母親の名前とインディアンのチーフというふたつのタトゥーともあながち無縁ではない。
デップは1963年ケンタッキー州生まれ。両親は、デップが15歳のときに離婚し、彼は母親に引き取られた。最初はミュージシャンを志し、“The Kids”というバンドを率いていたデップは、83年に20歳で、5歳年上のロリ・アン・アリソンと結婚したが、2年後に離婚した。この最初の結婚が破綻したとき、彼はこう語った。「両親の過ちを正そうとしていたんだと思う。(中略)自分はそうならない、うまくやれると思っていたんだ」
しかし、それでも彼の家庭願望が失われることはなかった。シェリリン・フェンと交際中には、「ぼくは結婚と子供を求める古風な男なんだ」と語り、その後も、ウィノナ・ライダー、ケイト・モスと婚約し、同じような発言を繰り返すが、結局、自分の家庭を持つことはできなかった。
映画のなかのデップは古風な男とは程遠い。彼は、『クライ・ベイビー』(90)、『シザーハンズ』(90)、『アリゾナ・ドリーム』(92)、『エド・ウッド』(94)、『ラスベガスをやっつけろ』(97)、『ブロウ』(01)に見られるように、サバービアやハリウッド、金銭的な成功といった表層的なアメリカン・ドリームに揺さぶりをかけるような映画に出演し、社会から逸脱した極めて個性的なキャラクターを次々と生みだした。
デップの母方の祖父がチェロキー族のインディアンだったことも、そんな姿勢に影響を及ぼしているに違いない。私生活でもデップは、家庭願望とは裏腹に、根無し草的な生き方を実践していた。しかも彼は、『デッドマン』(95)、『スリーピー・ホロウ』(99)、『ナインスゲート』(99)、『フロム・ヘル』(01)に見られるように、幽霊やゴシック的な世界に強い関心を持っていた。
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