虐殺と激しい寒波を奇跡的に生き延びたロスト・バードは大きな話題になるが、そのなかで彼女に特別な関心を持ったのが、ネブラスカ州軍を率いる准将レナード・W・コルビーだった。南北戦争で英雄となった彼は、
英雄でありつづけるために戦いを追い求めるような人物で、虐殺後の戦争の可能性を期待してウーンデッド・ニーがあるパインリッジ居留地へとやって来た。英雄である彼にとっては、無抵抗のインディアンを虐殺した戦場は、ただただ不愉快きわまりないものだったが、
彼はロスト・バードの話を耳にして英雄になるための別な道を見出す。南北戦争以前の時代に、後の第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは、インディアン殲滅の先頭に立っていたにもかかわらず、純血のインディアンの孤児を引き取って英雄となり、
選挙民の心を動かしたが、この准将はそのジャクソンに自分を重ねていたのだ。
ロスト・バードを預かっていたインディアンの女は、そんなレナードに反発し、彼女をインディアンのキャンプに匿う。ところがレナードは、インディアンと顔見知りである交易所の経営者夫人の手引きでキャンプに潜入し、
混血のインディアンを名乗って彼女を連れ去るのだ。レナードが奇跡的に生き残った孤児を引き取った話はワシントンの社交界でも話題となり、彼は大統領から司法長官補佐の地位を与えられる。そこで彼は、ワシントンを訪れるインディアンを歓迎するときに、
インディアンの娘をひけらかし、自らも混血であるように装い、彼らの信頼を得て後に土地の取引などをめぐり大きな利益を得ることになる。
一方、ロスト・バードをそんなマスコットにすることに不満を覚えていたのが、女性のための新聞の発行人であり、運動家でもあるレナードの妻のクララだった。彼女はロスト・バードを教育し、立派な女性に育てようと決意するが、
彼女も白人の立場でしかインディアンを知らない女性のひとりであり、自分のルーツに対する娘の関心を満たすことはできなかった。ロスト・バードは白人の学校にもインディアンの寄宿学校にも順応できず、非道な差別や体罰を受け、悪夢にうなされ、
アイデンティティが混乱していく。レナードは愛人とのあいだに子供をもうけ、ロスト・バードのことを相手にもしなくなり、離婚を余儀なくされたクララは生活苦に陥る。
そこでクララは、再婚して生活が安定したレナードにロスト・バードを預けるが、そんな彼女は母親が知らないうちに妊娠し、死産してしまう。この子供の父親の素性は明らかにされなかったが、レナードはその妊娠の事実をクララに隠しつづけた。
ロスト・バードはそんな悲劇を乗り越えて幸せな結婚をするかに見えるが、夫からの残酷な贈り物は当時まだ治癒が困難な梅毒だった。精神が不安定になった彼女は、両親から距離を置いてカリフォルニアに向かい、ワイルド・ウエスト・ショーやクラブで働き、
結婚し子供を産み、常に故郷のことを思いながら貧困のなかで29歳の生涯を終える。
彼女は故郷から遠く離れた墓地に葬られ、忘れ去られたが、運命の大虐殺から100年以上も経過した1991年、ウーンデッド・ニー遺族協会がその墓を探しだし、彼女の遺骨は故郷にある親族が眠る墓地にあらためて埋葬された。
彼女の存在は、自分の部族から引き離され養子にされた何千という子供たちの象徴になっている。ロスト・バード・シンドロームとはそんな子供たちが背負う癒しがたいトラウマを意味しているのだ。
アレクシーの「インディアン・キラー」で、生まれたばかりの主人公ジョンが戦場の悪夢のなかで無理やり連れ去られ、白人家庭に送り届けられる冒頭の章には、 ”神話” というタイトルが付けられている。
ロスト・バード・シンドロームを踏まえてこの小説を読む読者は、この現代の物語に神話的な悲劇を見ることになるだろう。
そして、ロスト・バードの悲劇を生んだウーンデッド・ニーをめぐってもう一冊注目したいのが、ジョン・ウィリアム・セイアーの『Ghost Dancing the Law』だ。大虐殺がインディアンと白人の最後の戦争とみなされているということは先述したが、
この悲劇の舞台で1973年にその解釈を覆すかのようにインディアンの蜂起が起こった。オグララ・スー族とアメリカ・インディアン・ムーヴメント(以下AIM)のメンバーが、合衆国政府に差別、不正、貧困のなかで窮地に立たされている彼らの現状を訴えるために、
交易所や教会に立てこもったのだ。この占拠事件は71日にわたり、当局との銃撃戦にも発展した。
70年代に起こったこの事件は世の中に知られていないわけではない。たとえば、邦訳されているマリー・クロウ・ドッグの「ラコタ・ウーマン」には、この事件の背景や内実が詳しく綴られている。
しかし本書が興味深いのは、事件そのものではなく、それが終結した後に始まった裁判が主題になっていることだ。この視点の違いには大きな意味がある。
「ラコタ・ウーマン」では、裁判といえばそれは白人がインディアンを刑務所に送る装置を意味し、それゆえにこれまでのインディアン流の戦いや誇りが強調されている。これに対して裁判を描くということは、白人の土俵に一歩踏み出し、
新しいかたちでの主張と戦略に注目することになる。本書では、あくまで犯罪に対る刑事裁判を進めようとする検察側とそれをバックアップするニクソン政権に対し、被告とその弁護士たちが、法廷をいかにして政治的な討論の舞台に変え、インディアンの歴史の見直しを迫っていったのかが克明に綴られていくのだ。
このインディアンをめぐる裁判では、あのO・J・シンプソン裁判と同じようにまず裁判が開かれる場所が問題となる。特にサウス・ダコタはインディアンに対する根深い偏見があったからだ。そこで被告側は、リベラルな判事にめぐまれたこともあり、
裁判の場所をサウス・ダコタからリベラルな伝統が根づいているミネソタ州セント・ポールに変更する。陪審員の選択も慎重に行われる。100人を越える陪審員候補者は、その多くがインディアンの友人も知人も持ったことがなく、彼らに対する知識といえばそれはすべてテレビと映画から吸収したという人々である。
陪審員の審査では、そんな人々に対して、もしあなたの息子や娘がインディアンとの結婚を望んだらどう感じるかというような質問が行われ、ふりわけられる。
そんな手続きを踏んだうえで、被告側はメディアを最大限に利用する。それは必ずしも望ましいことばかりではない。陪審員の審査でも明らかなように、世間の人々はインディアンの現実を知らない。それゆえに人々が法廷に期待するのは、
実は現代に甦るシッティング・ブルや勇敢な闘士によるスペクタクルなのだが、被告側も意識的にそうしたステレオタイプなイメージを受け入れ、関心を集めていく。注目の法廷では、そのメディアの追い風によって、かつて政府とインディアンのあいだで取り決めた協定を政府が無視してきたことやFBIが行った不正行為などが明らかにされていく。
その結果、この事件では562人が逮捕され、185件の起訴が行われたにもかかわらず、被告側はそのほとんどで実質的な勝利を手にしていくことになるのだ。
ここで取りあげた二冊の本はどちらも「インディアン・キラー」と前後する時期に発表されたものだが、その内容はこの小説とともに、インディアンの現状とそれを見る眼差しの大きな変化を物語っているといっていいだろう。 |