但し、レイはグローバリゼーションと無縁ではない。5歳の息子から不用になったトレーラーハウスがどうなるかと尋ねられたレイは、中国に運ばれてオモチャになり、ママが1ドルショップで売るのだと答える。そういう知識を持つ彼女は、中国人をいくらか身近に感じている。だからライラと組むときも、“移民”ではなく“中国人”を運ぶのを手伝うと語る。
そんな伏線があるため、何度目かの仕事でこれから運ぶのが中国人ではなくパキスタン人だと知ったとき、レイは激しくうろたえる。彼女にはまったく未知の移民がテロリストのように見える。だから運ぶ途中で大きな間違いを犯してしまう。しかし、それが致命的な過ちになるのをかろうじて回避し、移民のなかに人間の顔を見出したとき、彼女に植えつけられた境界が確実に揺らいでいく。
■■レーガン政権、80年代以後のアメリカ社会■■
この原稿の冒頭で、レイとライラは偶然に出会ったと書いたが、そこにはアメリカ社会に対する批判が込められている。それを明確にするためには、80年代まで遡る必要がある。マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム マネーは踊る』にも描かれていたように、金持ちを優遇するレーガン政権の税制改革によって社会には格差が広がった。その状況は根本的に変わっていない。それと同時に80年代には、先住民の保留地にギャンブル施設が定着していった。レーガン政権が、医療や住宅供給など、教育を除くほとんどの分野で保留地への補助を大幅に削減し、財源を確保する手段が限られた先住民は、ギャンブル施設を選択することを余儀なくされたからだ。
レイの夫は、保留地のギャンブル施設に通っていた。その夫が大金を持ち逃げしたことを知った彼女は、当然その施設に探しにいく。そして、施設で従業員として働くライラに出会う。そのライラは、仮に赤ん坊を取り戻したとしても、従業員の収入では養っていくことができない。ふたりの出会いの背景には、80年代以後のアメリカ社会の現実がある。
筆者がハントにレーガン時代と映画の関係について尋ねたとき、彼女は、レーガンが原因で生まれた貧しいことは恥だという風潮に対する怒りを露にしていた。この映画が始まったとき、レイは自分が貧しいことを恥じている。集金に訪れる住宅業者やレンタルテレビの業者は、明らかに彼女を見下している。だから彼女は、無理をしても最高級のトレーラーハウスを手に入れようとする。彼女が持っている住宅のパンフレットにある夢の暮らし≠ニいうコピーは、レーガンが生んだ風潮と結びついているといえる。
■■土地に深く根ざした南部人の感性■■
さらに、ハントがテネシー州メンフィス出身であることも見逃すわけにはいかない。映画、文学、音楽を問わず、南部出身の作家には、土地に深く根ざした世界を切り開く傾向がある。たとえば、『ハッスル&フロウ』や『ブラック・スネーク・モーン』の監督クレイグ・ブリュワーは、メイフィスに暮らし、メンフィスで映画を撮り、自分の創作を“リージョナル・フィルムメイキング”、すなわち地域密着の映画作りと位置づけている。そして、ハントもまた例外ではない。
彼女は、南北戦争を題材にした短編も含めてこれまでの短・長編をすべてアップステイトで撮影している。それは、アップステイトの風景にテネシーの土地を、セントローレンス川にミシシッピ川を感じるからだという。だがもちろん、ハントは単に故郷に似た風景を求めているわけではない。彼女はフラナリー・オコナーのように、土地と人間の関係を突き詰め、神話的ともいえる象徴的な世界を切り開いている。
レイは、再びギャンブルに溺れるようになった夫を銃で脅し、足元に発砲したことがきっかけで、窮地に陥ることになった。ライラは、夫が無理な横断を試みて水死したために、孤立することになった。レイとライラの最後の仕事では、そんな過去が繰り返される。レイは、約束の金を払わない仲介人の足元に発砲し、川辺に追い詰められたふたりは、無理な横断を試みる。そんな繰り返される時間ののなかで、二人は過去と向き合い、凍りついた川に浄化され、未来を選択していく。
ドキュメンタリーに近いスタイル、他者や境界、アメリカ社会に対する鋭い視点、シンプルに見えて緻密な構成、南部の土地に起因する独自の感性。この映画では、多様な要素が実に見事にまとめあげられ、際立った強度と深みを生み出しているのだ。
■付記
コートニー・ハントは、テレンス・マリック監督の『地獄の逃避行』に大きな影響を受けているが、そのことについては「コートニー・ハントの長編デビュー作『フローズン・リバー』」と「ブルース・スプリングスティーン――『ネブラスカ』が語るもの」を参照されたい。 |