エド・ウッド
Ed Wood  Ed Wood
(1994) on IMDb


1994年/アメリカ/モノクロ/124分/ビスタ
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(初出:「STUDIO VOICE」1995年、加筆)

 

 

ベラ・ルゴシに投影された悲壮な救済の物語

 

 ティム・バートンの新作『エド・ウッド』は、一見、個人的な趣味に徹した作品のように見える。映画は全編モノクロで、50年代のハリウッドを舞台に、エド・ウッドの奮闘がオフビートなタッチで描かれる。エド・ウッドは、当時、低予算で面妖なSF・怪奇映画を作りつづけ、史上最低の監督≠ニいわれた人物だ。この映画でそのエドは、自分の女装趣味を生かし、 主演も兼ねた作品で監督デビューを飾り、いかがわしい予言者やプロレスラーたちをかき集め、世紀の傑作を求めて邁進し、奇妙な世界を作り上げていく。

 マニアックな題材、偏執狂絡みのメロドラマ、ミニチュア風のハリウッド界隈の景観やエド・ウッドが繰り出す妄想的なヴィジョン。確かにどこを切っても、バートンの趣味の世界に見える。しかしながら、「シザーハンズ」が、ヴィンセント・プライスや怪奇映画、おとぎ話への愛着をただ趣味的に表現しただけの作品ではなかったように、この映画にもバートンの深層心理が反映されている。

 この映画でまず注目したいのは、ベラ・ルゴシの存在だ。エドは、この往年のドラキュラ俳優と出会うことで自分の情熱にさらに拍車がかかっていくが、このベラの存在は実に印象深いものがある。彼は、ほとんど映画界からお払い箱の状態で、そっくりな住宅が整然と並ぶ安っぽいサバービアに暮らしている。その彼の家のなかは、過去の記憶が染みついた衣装や小道具で埋め尽くされている。

 このサバービアとドラキュラ俳優のコントラストは、皮肉を通り越して、悲壮感すら漂う。なぜなら、あらゆる意味でオープンを基調とするサバービアは、影となる部分を最大限に切り詰めた世界であり、そんな世界に、まるで住宅が棺桶であるかのように、ゴシック的な世界を象徴するベラが押し込まれているのだから。しかも彼は、ヤクに救いを求め、ドラキュラにたとえるなら、 血のかわりにヤクを身体に流し込むことによってなおも象徴として生き長らえているからだ。

 そこで思い出されるのは、もちろん『シザーハンズ』の舞台となったパステル・カラーのサバービアの世界である。あの映画で、主人公エドワードが暮らす屋敷は、影が切り詰められたサバービアに暮らす少年が、想像上の空間に築き上げた影の世界の象徴していた。それは、すべてを均質化してしまうサバービアのなかで、自分のアイデンティティを守る城でもあったわけだ。 そして、その少年とはいうまでもなくバートンその人である。


◆スタッフ◆

監督
ティム・バートン
Tim Burton
製作 デニーズ・ディ・ノーヴィ/ティム・バートン
Denise Di Novi/Tim Burton
脚本 スコット・アレクサンダー/ラリー・カラツェウスキー
Scott Alexander/Larry Karaszewski
製作総指揮 マイケル・レーマン
Michael Lehmann
撮影監督 ステファン・チャプスキー
Stefan Czapsky
編集 クリス・リーベンゾン
Chris Lebenzon
音楽 ハワード・ショア
Howard Shore
原作 『ナイトメア・オブ・エクスタシー』ルドルフ・グレイ
Based on the Book "Nightmare of Ecstasy" by Rudolph Grey

◆キャスト◆

エド・ウッド
ジョニー・デップ
Johnny Depp
ベラ・ルゴシ マーティン・ランドー
Martin Landau
ドロレス・フラー サラ・ジェシカ・ハーパー
Sarah Jessica Parker
キャシー・オハラ パトリシア・アークェット
Patricia Arquette
クリズウェル ジェフリー・ジョーンズ
Jeffrey Jones
レモン牧師 G・D・スプラドリン
G.D.Spradlin
オーソン・ウェルズ ヴィンセント・ドノフリオ
Vincent D'Onofrio
バニ・ブレッキンリッジ ビル・マーレイ
Bill Murray
 


 という意味では、このベラにも、バートン自身の感情が反映されていることになる。しかし単純に反映されているだけではない。 『シザーハンズ』のサバービアには80年代という時代が象徴されていた。それは言葉を変えれば、レーガン政権が復活させた50年代の価値観ということである。

 この『エド・ウッド』でバートンは、 彼が育った環境が広がり、定着していった50年代という時代にさかのぼる。そして、そんな時代背景のなかで、エド・ウッドが、どんなかたちであれベラをスクリーンに復帰させようとするということは、エドのベラに対する憧れといったことでは片付けられなくなる。

 この映画の導入部では、"ED WOOD"というタイトルにつづいて、"HOLLYWOOD "の看板の文字がさりげなく映し出される。これは単にハリウッドとエド・ウッドを対比しているのではないだろう。この映画のなかで、ハリウッドという人工的な世界はサバービアに繋がり、エド・ウッド≠ヘそのなかで孤立しているものを象徴している。

 そんなふうに見てくると、筆者は、ヤク中でよぼよぼのベラが、スタッフによる操作のきかないタコのモンスターを相手に、雄叫びと水しぶきをあげながら一人芝居を演じるあまりにも滑稽で無様な場面に、鬼気せまる激しい情念と深い悲しみを感じるのである。

 かつてスティーヴン・スピルバーグは、サバービアに飛来するUFOや宇宙人を通して、サバービアのなかで孤立する主人公に投影した自己を救済する物語を作り上げた。バートンもまた、サバービアにゴシック的なイメージをたぐり寄せることによって、自己を救済しようとする。しかしその救済の物語は、スピルバーグのそれよりも、遥かに暗く哀しい。


(upload:2001/01/13)
 
 
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