■■豊かさと幸福を象徴するサバービアと孤独な少年■■
アメリカでは第二次大戦後から50年代にかけて、国全体を塗り替えてしまうような勢いで郊外化が進んだ。テレビのホームドラマや広告は、豊かさと幸福に満ちたアメリカン・ファミリーのイメージに染まり、人々は、緑の芝生のある一戸建てが整然と並ぶ清潔で閑静なサバービア(郊外住宅地)に暮らすことに憧れ、続々と転居していった。
スティーヴン・スピルバーグは、その郊外化のなかで成長した。彼が1946年に誕生したとき、両親のアーノルドとリアは、オハイオ州シンシナティの郊外にあるアボンデールに暮らしていた。その後、一家は49年にまずニュージャージー州ハドンフィールドに転居し、54年にはアリゾナ州フェニックス近郊のスコッツデイルに移る。その頃にはスティーヴンは、三人の妹たちの兄になっていた。一家はそこで10年ほど暮らし、最後に北カリフォルニアに転居し、やがてスティーヴンは映画の世界に身を投じることになる。
スティーヴン少年は、そんな郊外の生活のなかで、自分の家族が他と違うことに気づく。アンドリュー・ユールの『スティーヴン・スピルバーグ 人生の果実』には、次のような記述がある。
「自分たちの牧場スタイルの家がスコッツデイルでただ一軒、クリスマスに明かりで飾りつけをしない家だということを発見して、彼は正統派ユダヤ教の家族の一員であることによけい当惑するようになる。両親の信仰の外面の部分―毎週金曜日の夜とユダヤ教の祝祭日に、そろってシナゴーグに行くこと―これらの一切合切がスピルバーグの孤独感を深いものにした。世界中の何よりもまして彼は同じようになること、ほかのみんな≠フようになること、みんなから受け入れられることを望んだ」
詳しくは後に触れるが、スティーヴンは当惑しただけでなく、あからさまな差別や苛めにもあった。そこで筆者がぜひとも注目したいのは、そういうことがありながら、なぜ一家がWASPのサバービアに暮らさなければならなかったのか、あるいは暮らす必要があったのかということだ。
アメリカの中流階級にとって成功とは何かを探るローレン・バリッツの『THE GOOD LIFE』には、50年代に郊外に転居した人々の様々なエピソードが紹介されているが、ここでそのなかから対照的なふたつの例を取り上げてみたい。
あるイタリア系の男性は、家族や仲間たちとともに、黒人が流入してくる都市から郊外に転居した。彼らはGI Bill(復員兵援護法)のおかげで、土地と家を手に入れるというアメリカン・ドリームを実現したが、それと同時に伝統を失い、同化してしまった。その男性は、自分たちの文化が破壊されてしまったことを嘆いている。
一方、あるユダヤ系の男性は、転居の候補にしたコミュニティを実際に見にいくと、他にユダヤ人がいるかどうかをチェックした。そして誰もいないか、あまりにも少数であれば、運動によってそこから締め出される可能性を考慮し、さらの別の町を探す。そして、たとえ99パーセントがユダヤ人であっても別の町を探したという。
■■WASPのサバービア、ユダヤ系に対する差別■■
もしスティーヴンの両親が、このユダヤ系の男性のような選択をしていれば、彼の人生はまったく違ったものになっていたことだろう。だが、コンピュータ技師の草分けだった父親のアーノルドは、ユダヤ系である以前に、ウィリアム・H・ホワイトが命名した“オーガニゼーション・マン”のひとりだった。アメリカ社会は、家族や地域の縁故よりも学歴がものをいう世界へと変化し、組織に順応するホワイトカラーが増大していた。彼らは、故郷を捨て、組織に命じられるままに積極的に移動し、家族はサバービアを転々とすることになるのだ。 |