実在の天才詐欺師フランク・アバグネイルの実話をもとにしたスティーヴン・スピルバーグの新作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は、まず何よりも60年代半ばという時代設定に注目すべきものがある。
47年生まれのスピルバーグは、彼が生きてきた同時代という意味での現代を作品の背景にすることをずっと避けてきた。彼がまともに現代を描いたのは、『激突!』から『E.T.』に至る初期の時代だけだ。それ以後の作品はほとんどが、第二次大戦中かそれ以前の時代を背景にしている。『オールウェイズ』は、第二次大戦中というオリジナル作品の設定を引き継ぐ予定が、事情で現代に変更されたに過ぎないし、『ジュラシック・パーク』の舞台は現実世界から完全に隔離されている。一方、『A.I.』と『マイノリティ・リポート』という最近の2作品では、今度は現代を飛び越えて未来を描いている。
スピルバーグが同時代の題材に対して消極的な理由は、現代を描いた初期の作品から察することができる。そこには、彼が育った郊外で培われた感性と視点が反映されている。『激突!』や『ジョーズ』では、日常やコミュニティに埋没した人間が予想もしない恐怖を体験することになるが、皮肉にも彼らはその瞬間だけ個人に立ち返っている。『未知との遭遇』や『E.T.』からは、不毛で退屈な郊外からの逃避願望が浮かび上がってくる。
戦後の郊外化とともに成長したスピルバーグにとって、同時代のアメリカとは、歴史も過去もない人工的な郊外の世界に等しい。初期の作品が物語るように、その世界は不毛で空虚でしかない。そんな彼にとってリアルなのは、彼の親の世代が体験した世界であり、第二次大戦までのアメリカなのだ。だから、戦争を題材にしてもヴェトナム戦争ではなく第二次大戦であり、人種や民族を題材にしても現代の物語ではないのだ。また、未来という設定であれば、現代にそれほど縛られずに世界を構築できるということだ。(※このことについては、『スピルバーグ――宇宙と戦争の間』(竹書房、2005年)に詳しく書いた。)
前置きが長くなったが、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のドラマはそんなことを踏まえてみると実に面白い。これは、スピルバーグが戦後のアメリカを意外なアプローチから解剖してみせる映画といってもよいだろう。
物語が始まるのは63年で、16歳の主人公フランクは、野心的な実業家である父親を尊敬し、両親と不自由ない生活を送っている。ちなみにこの主人公は、47年生まれのスピルバーグと同い年である。そのフランクが父親を尊敬するのは、戦争の記憶と無縁ではない。父親はフランスに駐留しているときに、地元の村で一番の美女のハートを射止めて結婚したのだ。
しかし、そんな神話はあっさりと崩壊してしまう。父親は事業に失敗し、母親は浮気に走り、両親は離婚する。ショックを受けたフランクは家を飛び出し、この若さにしていきなり詐欺師としての才能を開花させる。彼は、パイロット、医師、弁護士へと次々に姿を変え、数年間に400万ドルを荒稼ぎするのだ。
この映画で興味深いのは、フランクと彼を追うFBI捜査官カールの関係だ。カールはフランクを目の前にしながらとり逃がしたことがあり、彼の顔を知っている。フランクはクリスマスが来るたびにそのカールに電話を入れる。カールが追うのは当然だが、同時に彼は、偽物というフランクの本当の姿を受け入れている唯一の人間でもあり、彼らの間には父子を思わせる奇妙な絆が育まれていく。 |