ティム・バートン
Tim Burton


ヴィンセント/Vincent――――――――――――――― 1982年/アメリカ/モノクロ/6分/ステレオ
フランケンウィニー/Frankenweenie―――――――――― 1984年/アメリカ/カラー&モノクロ/27分
シザーハンズ/Edward Scissorhands―――――――――― 1990年/アメリカ/カラー/98分/ヴィスタ/ドルビーSR
エド・ウッド/Ed Wood――――――――――――――――― 1994年/アメリカ/モノクロ/124分/ヴィスタ
スリーピー・ホロウ/Sleepy Hollow――――――――――― 1999年/アメリカ/カラー/106分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
アリス・イン・ワンダーランド/Alice in Wonderland―――― 2010年/アメリカ/カラー/109分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「美術手帖」2014年11月号)

 

 

パステルカラーの郊外と
ゴシックホラーをめぐる物語

 

 ティム・バートンは1958年にカリフォルニア州バーバンクで生まれ、そこで成長した。バーバンクにはワーナー・ブラザーズやディズニーなどのスタジオがあったため、“映画の都”とも呼ばれているが、その他は典型的な郊外住宅地だった。バートンは、緑の芝生がある一戸建てが整然と建ち並ぶ郊外の生活について以下のように語っている。

「郊外で育つってことは、歴史に対する感覚や、文化に対する感覚、何かへの情熱に対する感覚のない場所で育つってことなんだ。人々が音楽を好きだなんて思えなかった。感情が表に出てなかったんだ。ほんとに奇妙だったよ。『なんであんなものがあるんだ? 僕はどこにいるんだ?』って感じ。ものごとに対する愛着があるなんて思えなかった。だから順応して自分の個性の大部分を殺すか、自分はみんなと関係を断っていると感じさせてくれるだけの、すごく強力な精神生活を発達させるかの、どちらかを強いられるんだ」

 アメリカでは第二次大戦後から50年代にかけて激しい勢いで郊外化が進み、郊外で暮らすことが新しいアメリカン・ドリームになった。バートンがそんな郊外化に重なるベビーブーマーの最も若い世代に属していることを踏まえるなら、ここで郊外化の要因をふり返っておくのも無駄ではないだろう。

 まず連邦政府が住宅政策を優先し、郊外の一戸建てが安価で手に入れられるようになった。テレビという新しい娯楽が急速に普及し、便利な電化製品が次々と登場し、大量消費時代が到来した。人々は、人種差別や犯罪、過密などの問題を抱える都市、冷戦の重苦しい空気から逃れられる場所を求めていた。しかも郊外に転居すれば、大恐慌や戦争の記憶を背負う古い世代の伝統的な価値観から自由になることができた。

 つまり、郊外生活はほとんど外的な要因から形作られたものであって、その本質は漠然としている。にもかかわらず人々は、豊かで楽天的なイメージを強調するテレビのホームドラマや広告に魅了され、続々と郊外に転居していった。バートンが郊外の生活で感じた違和感は、こうした背景と無関係ではないだろう。そして彼はそこに順応するのではなく、「すごく強力な精神生活を発達させる」道を選んだ。その原動力になったのはホラー映画だ。なかでも特に、『アッシャー家の惨劇』(60)に始まるエドガー・アラン・ポー作品の映画化シリーズの主演で不動の地位を築いた俳優ヴィンセント・プライスやジェームズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』(31)に傾倒していた。

 その影響はバートンの初期の短編にはっきりと表れている。5分のストップモーション・アニメ作品で、ヴィンセント・プライスがナレーターを務める『ヴィンセント』(82)では、自分がヴィンセント・プライスになることを夢想する7歳の少年の世界が描かれ、後にストップモーション・アニメで長編化される25分の実写作品『フランケンウィニー』(82)では、少年が死んだ愛犬を雷の力で生き返らせ、隣人たちを騒動に巻き込んでいく。そこで筆者が注目したいのが、バートン自身の以下のような発言だ。

「ホラー映画を観ながら成長して、どういうわけか僕は、ゴシック/フランケンシュタイン/エドガー・アラン・ポオ的なもの全部と、郊外で成長するっていうこととの間に直接の感情的つながりを常に見いだすことができた」

 郊外で疎外される若者が想像力を解き放とうとすれば、郊外と距離を置き、そこから逃れるように独自の世界を切り拓くと思いたくなるところだが、バートンは違った。『ヴィンセント』では、少年が暮らす郊外の家庭と彼が夢想するゴシックホラーのイメージが、まるで並存するように瞬時に切り替わり、『フランケンウィニー』では、郊外のなかに『フランケンシュタイン』にインスパイアされた物語がそのまま移植されている。つまり、バートンの作品では、まったく相容れないはずの二つの要素が分かちがたく結びつき、ひとつの世界を作り上げている。


―ヴィンセント―
◆スタッフ◆

監督/脚本   ティム・バートン
Tim Burton
撮影 ヴィクター・アブダロフ
Victor Abdalov
音楽 ケン・ヒルトン
Ken Hilton

◆声の出演◆

ナレーター   ヴィンセント・プライス
Vincent Price
(配給:ブエナ)
 
 
―フランケンウィニー―
◆スタッフ◆

監督/原案   ティム・バートン
Tim Burton
脚本 レニー・リップス
Lenny Ripps
撮影 トーマス・アッカーマン
Thomas Ackerman
編集 アーネスト・ミラノ
Ernest Milano
音楽 マイケル・コンヴァーティノ、デヴィッド・ニューマン
Michael Convertino, David Newman

◆キャスト◆

ヴィクター・フランケンシュタイン   バレット・オリヴァー
Barret Oliver
スーザン シェリー・デュヴァル
Shelley Duvall
ベン ダニエル・スターン
Daniel Stern
(配給:ブエナ)
 
―シザーハンズ―

※スタッフ・キャストは
『シザーハンズ』レビュー
を参照のこと


―エド・ウッド―

※スタッフ・キャストは
『エド・ウッド』レビュー
を参照のこと


―スリーピー・ホロウ―

※スタッフ・キャストは
『スリーピー・ホロウ』レビュー
を参照のこと

 

 そして、そんな独自の感性がより鮮明になるのが『シザーハンズ』(90)だ。この映画にはパステルカラーの郊外とゴシック風の城という二つの世界がある。城のなかに一人で暮らすエドワードは、心臓発作で死んだ発明家(ヴィンセント・プライスが演じている)が遺した未完成の創造物であり、やはり『フランケンシュタイン』がモチーフになっている。そんな相容れないはずの二つの世界は、セールスのために城を訪れたエイボンレディが、ハサミの手を持つエドワードに同情し、郊外に連れ帰ることであっけらかんと接続される。

 その結果、このドラマでは、城に象徴される主人公の内面世界と外部としての郊外の実態が絡み合っていく。繰り返される日常のなかで刺激を求める郊外の住人には、エドワードの表層だけしか目に入らず、新たなアトラクションのように消費する。そして、彼を思い通りにできないことがわかると、コミュニティの敵であるかのようなレッテルを貼り、排除していく。バートンはそんな展開のなかで、画一化された郊外に潜む欲望や群集心理を浮き彫りにすると同時に、エドワードの内面を『フランケンシュタイン』の怪物の立場も意識した独自の視点で掘り下げている。

 さらにもう一本、後に“史上最低の監督”と呼ばれることになるエド・ウッドの実話に基づく『エド・ウッド』(94)も、郊外に対するバートンの視点が際立つ。モノクロで撮られたこの映画は、郊外化の黄金時代である50年代を背景にしている。物語の軸になるのは、女装癖があるエド・ウッドと落ちぶれたドラキュラ俳優のベラ・ルゴシとの交流であり、それはバートンとヴィンセント・プライスの関係の変奏になっている。

 エド・ウッドが尊敬するベラ・ルゴシは安っぽい郊外住宅地に暮らしているが、その光と影のコントラストは強烈な印象を残す。家のなかはルゴシが歩んできたゴシックホラーの歴史で埋め尽くされ、経済的にも精神的にも追いつめられている彼は、血を吸うのではなくドラッグを打つことでドラキュラ俳優としての威厳を保とうとしている。というようにこの映画でも、郊外とホラー、外部と内面が絡み合い、疎外されたキャラクターから胸を締めつけられるような感情が引き出されている。

 そして、二つの世界をめぐるこうした表現は、郊外という舞台を離れたバートン作品にも引き継がれている。たとえば、『スリーピー・ホロウ』(99)におけるイニシエーション(通過儀礼)だ。この映画は、古典的な奇談をそのまま描くだけならゴシックホラーの枠から踏み出すことはなかっただろう。しかし、主人公が背負う少年時代のトラウマという要素が加えられることで、殺人事件の捜査と過去の悪夢が深く結びつき、事件の謎を解き明かすことがトラウマを克服することにつながる。

 それと共通する図式とテーマは『アリス・イン・ワンダーランド』(10)にも見ることができる。望まぬ結婚を強要されかけた19歳のアリスは、再びワンダーランドに迷い込む。だが今度は父親の庇護下にあったときのように、夢から醒めることはできない。そんな世界で変容を遂げた彼女は、現実世界で旧弊なジェンダーの壁を越えることになる。

 さらに、『ビッグ・フィッシュ』(03)や『ティム・バートンのコープスブライド』(05)のように、ほら話と真実、生者と死者の世界が逆転し、あるいは境界が崩れることによって、自己と他者の関係が再確認される物語にも注目する必要がある。

 郊外で育ったバートンは、そこが必ずしも正常な世界ではないこと、そしてゴシックホラーの世界により人間的で豊かな感情が潜んでいることに気づき、二つの世界をめぐる独自の世界を切り拓いた。郊外で培われたそんな感性は、バートン作品全般において重要な位置を占めているように思える。

《参照/引用文献》
『ティム・バートン 映画作家が自身を語る』マーク・ソールズベリー編●
遠山純生訳(フィルムアート社、2011年)

(upload:2014/12/19)
 
 
《関連リンク》
『フランケンウィニー』 レビュー ■
『アリス・イン・ワンダーランド』 レビュー ■
規格化されることを拒む架空の物語と異形の身体
――『ビッグ・フィッシュ』と『スイミング・プール』をめぐって
■
『スリーピー・ホロウ』 レビュー ■
『エド・ウッド』 レビュー ■
『シザーハンズ』 レビュー(『サバービアの憂鬱』所収) ■
スティーヴン・スピルバーグ01――郊外住宅地の夜空に飛来するUFO ■
スティーヴン・スピルバーグ02――偽りの世界としてのサバービア/アメリカ ■
サバービアの憂鬱――アメリカン・ファミリーの光と影 ■

 
 
 
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