ティム・バートンは1958年にカリフォルニア州バーバンクで生まれ、そこで成長した。バーバンクにはワーナー・ブラザーズやディズニーなどのスタジオがあったため、“映画の都”とも呼ばれているが、その他は典型的な郊外住宅地だった。バートンは、緑の芝生がある一戸建てが整然と建ち並ぶ郊外の生活について以下のように語っている。
「郊外で育つってことは、歴史に対する感覚や、文化に対する感覚、何かへの情熱に対する感覚のない場所で育つってことなんだ。人々が音楽を好きだなんて思えなかった。感情が表に出てなかったんだ。ほんとに奇妙だったよ。『なんであんなものがあるんだ? 僕はどこにいるんだ?』って感じ。ものごとに対する愛着があるなんて思えなかった。だから順応して自分の個性の大部分を殺すか、自分はみんなと関係を断っていると感じさせてくれるだけの、すごく強力な精神生活を発達させるかの、どちらかを強いられるんだ」
アメリカでは第二次大戦後から50年代にかけて激しい勢いで郊外化が進み、郊外で暮らすことが新しいアメリカン・ドリームになった。バートンがそんな郊外化に重なるベビーブーマーの最も若い世代に属していることを踏まえるなら、ここで郊外化の要因をふり返っておくのも無駄ではないだろう。
まず連邦政府が住宅政策を優先し、郊外の一戸建てが安価で手に入れられるようになった。テレビという新しい娯楽が急速に普及し、便利な電化製品が次々と登場し、大量消費時代が到来した。人々は、人種差別や犯罪、過密などの問題を抱える都市、冷戦の重苦しい空気から逃れられる場所を求めていた。しかも郊外に転居すれば、大恐慌や戦争の記憶を背負う古い世代の伝統的な価値観から自由になることができた。
つまり、郊外生活はほとんど外的な要因から形作られたものであって、その本質は漠然としている。にもかかわらず人々は、豊かで楽天的なイメージを強調するテレビのホームドラマや広告に魅了され、続々と郊外に転居していった。バートンが郊外の生活で感じた違和感は、こうした背景と無関係ではないだろう。そして彼はそこに順応するのではなく、「すごく強力な精神生活を発達させる」道を選んだ。その原動力になったのはホラー映画だ。なかでも特に、『アッシャー家の惨劇』(60)に始まるエドガー・アラン・ポー作品の映画化シリーズの主演で不動の地位を築いた俳優ヴィンセント・プライスやジェームズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』(31)に傾倒していた。
その影響はバートンの初期の短編にはっきりと表れている。5分のストップモーション・アニメ作品で、ヴィンセント・プライスがナレーターを務める『ヴィンセント』(82)では、自分がヴィンセント・プライスになることを夢想する7歳の少年の世界が描かれ、後にストップモーション・アニメで長編化される25分の実写作品『フランケンウィニー』(82)では、少年が死んだ愛犬を雷の力で生き返らせ、隣人たちを騒動に巻き込んでいく。そこで筆者が注目したいのが、バートン自身の以下のような発言だ。
「ホラー映画を観ながら成長して、どういうわけか僕は、ゴシック/フランケンシュタイン/エドガー・アラン・ポオ的なもの全部と、郊外で成長するっていうこととの間に直接の感情的つながりを常に見いだすことができた」
郊外で疎外される若者が想像力を解き放とうとすれば、郊外と距離を置き、そこから逃れるように独自の世界を切り拓くと思いたくなるところだが、バートンは違った。『ヴィンセント』では、少年が暮らす郊外の家庭と彼が夢想するゴシックホラーのイメージが、まるで並存するように瞬時に切り替わり、『フランケンウィニー』では、郊外のなかに『フランケンシュタイン』にインスパイアされた物語がそのまま移植されている。つまり、バートンの作品では、まったく相容れないはずの二つの要素が分かちがたく結びつき、ひとつの世界を作り上げている。
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