誰よりも狙われた男
A Most Wanted Man


2014年/アメリカ=イギリス=ドイツ/カラー/122分/スコープサイズ/5.1chデジタル
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(初出:)

 

 

アメリカの正義の背後にある疑いの文化
敵か味方かの二元論では世界は変わらない

 

[ストーリー] ドイツのハンブルク。テロ対策のスパイチームを率いるギュンター・バッハマンは、密入国したひとりの若者に目をつける。彼の名はイッサといい、イスラム過激派として国際指名手配されていた。イッサは人権団体の弁護士アナベル・リヒターを介して、銀行家のトミー・ブルームと接触。彼の経営する銀行に、イッサの目的とする秘密口座が存在しているらしい。

 一方、CIAの介入も得たドイツの諜報界はイッサを逮捕しようと迫っていた。しかしバッハマンはイッサをあえて泳がせ、彼を利用することで“ある大物”を狙おうとしていた。そして命をかけてイッサを救おうとするアナベルと、彼女に惹かれるブルーも、バッハマンのチームと共に闇の中に巻き込まれていく――。[プレスより]

 ジョン・ル・カレの同名小説を映画化したアントン・コービン監督の『誰よりも狙われた男』は、9・11以後の社会を掘り下げた何本かの映画を筆者に思い出させる。

 たとえば、トム・マッカーシー監督の『扉をたたく人』(07)だ。主人公は、妻を亡くしてから心を閉ざし、惰性で生きてきた初老の大学教授。そんな彼が、シリア出身のジャンベ奏者の若者と偶然に出会い、音楽を通して友情を育んでいく。だがその若者は不法滞在者として拘束されてしまう。

 この映画では、フェリーからの展望を通して、自由の女神とかつてワールドトレードセンターが建っていた空間がさり気なく対置されている。それは、これまで移民を受け入れることによって発展を遂げてきたアメリカが、移民希望者や不法滞在者に対して厳しい措置をとるようになったことを示唆している。

 ロサンゼルスを舞台にしたウェイン・クラマー監督の『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』(08)では、9・11以後に新たに設置された国土安全保障省の傘下にあるICE(移民・関税執行局)の活動が描き出される。映画はICEが市内の縫製工場に踏み込み、不法就労者たちを一斉検挙するところから始まる。

 それから、バングラデシュ出身でイスラム教徒の少女がICEとFBIの強制捜査を受ける。学校の授業で9・11の実行犯を人間扱いすべきという意見を述べた彼女は、危険分子とみなされ、不法滞在者として拘束されてしまう。このエピソードは、「テロリストに反対しない者はテロリストの一員である」というブッシュ前大統領の言葉を思い出させる。

 こうしたドラマには、9・11以後の現実が反映されている。デイヴィッド・ライアンの『9・11以後の監視』のなかには以下のような記述がある。

9・11以後、公正な社会ではあらゆる人々に平等な機会が開かれているという、尊重されるべき信条でさえ、雲行きが怪しくなっている。もう一つのニューヨークの名高いシンボルである自由の女神も、そこで嘆いているに違いない。なるほど、確かにアメリカ合衆国はこれまで一度も平等な社会を求める気高い要求に応じることはなかった。だが、2001年の事件以来、すでにあった不平等と不均衡が拡大してきている。戦時中は、他国や敵に対する敵意に満ちた防衛が高まり、疑いの文化が台頭し、誰もそれを免れることはできない。今回の「戦争」も例外ではない。相互信頼という社会の基盤はこうして損なわれつつある


◆スタッフ◆
 
監督   アントン・コービン
Anton Corbijn
脚本 アンドリュー・ボーヴェル
Andrew Bovell
原作 ジョン・ル・カレ
John le Carre
撮影 ブノワ・ドゥローム
Benoit Delhomme
編集 クレア・シンプソン
Claire Simpson
 
◆キャスト◆
 
ギュンター・バッハマン   フィリップ・シーモア・ホフマン
Philip Seymour Hoffman
アナベル・リヒター レイチェル・マクアダムス
Rachel McAdams
イッサ・カルポフ グレゴリー・ドブリギン
Grigoriy Dobrygin
トミー・ブルー ウィレム・デフォー
Willem Dafoe
マーサ・サリヴァン ロビン・ライト
Robin Wright
ファイサル・アブドゥラ ホマユン・エルシャディ
Homayoun Ershadi
イルナ・フライ ニーナ・ホス
Nina Hoss
マキシミリアン ダニエル・ブリュール
Daniel Bruhl
ディーター・モア ライナー・ボック
Rainer Bock
-
(配給:プレシディオ)
 

 では、この『誰よりも狙われた男』の場合はどうか。読者は、ドイツのハンブルクを舞台にした映画とアメリカ社会を描く映画がどう結びつくのか不思議に思うかもしれない。だがこの映画のハンブルクには、9・11以後の疑いの文化が広がりつつある。ちなみに、ル・カレの原作では、それが以下のように表現されている。

九・一一以来、ハンブルクのモスクは危険な場所になっていた。まちがったところに行ったり、場所はよくてもまちがった導師(イマーム)についたりすれば、自分も家族も、残る生涯ずっと警察の監視リストにのることになる。並んだ会衆の一列にひとりは、当局から金をもらって情報を売る密告屋だということを、誰も疑わなかった。イスラム教徒だろうが、警察のスパイだろうが、その両方だろうが、都市国家ハンブルクが不本意にも九・一一のハイジャッカー三人の潜伏場所になっていたことを、みな忘れようがなかった。当然ながら、実行犯の組織の仲間や立案者がいたことも。あるいは、世界貿易センターのツインタワーに最初に突入した旅客機の操縦者ムハンマド・アタが、この慎ましいハンブルクのモスクで、怒れる神に祈りを捧げていたこともみな憶えていた

 もちろん映画でもそんな疑いの文化が鍵を握る。バッハマンの上司であるドイツ連邦憲法擁護庁の支局長モアは、イッサの動きをキャッチすると即刻逮捕に踏み切ろうとする。そこにはシロかクロかの判断しかないが、そんな単純な二元論ではテロとの戦いは泥沼化していくしかない。

 だが、バッハマンの戦略は違う。イッサが人権団体「サンクチュアリー・ノース」の女性弁護士アナベル・リヒターに助けを求め、トミー・ブルーと接触しようとしているという情報をつかんでいる彼は、イッサをしばらく泳がせ、ハンブルクに来た目的を突き止めようとする。

 そして、トミーが経営する銀行にイッサの父親が残した遺産の隠し口座があり、イッサが旧ロシアの軍人だった父親とチェチェン人だった母親に対して激しく複雑な愛憎の感情を抱いていることを確認すると、独自の計画に着手する。その遺産を利用して、以前からその動向を追っていた穏健派のイスラム学者であるアブドゥラ博士を釣り上げようとするのだ。

 その計画もまた疑いの文化と無関係ではない。アブドゥラの活動のなかでクロの部分はごくわずかだが、バッハマンはそのために彼のすべてをクロにしようとするわけではない。動かぬ証拠をつかみ、協力者に仕立てようとする。そのために、アナベルやトミーを懐柔し、計画に巻き込んでいく。

 だが、バッハマンの上司モアと同席していたのは、アメリカの正義で世界を仕切ろうとするCIAベルリン支局のマーサ・サリヴァンであり、彼女はなんとかバッハマンと組もうとする。この映画が描き出す苛烈な諜報戦では、テロとの戦いをめぐるふたつの価値観が激しくせめぎ合い、イッサ、アナベル、トミーの運命も左右することになる。

《引用文献》
『9・11以後の監視』 デイヴィッド・ライアン ●
田島泰彦監修 清水知子訳(明石書店、2004年)
『誰よりも狙われた男』 ジョン・ル・カレ ●
加賀山卓朗訳(早川書房、2013年)

(upload:2014/10/07)
 
 
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