[ストーリー] 自動車のセールスマン、フィリップはヴォルフスブルクの国道を走行中に、携帯で婚約者と口論になる。そして落とした携帯を拾おうとかがんだときに、自転車に乗った少年を撥ねてしまう。周囲に人影はなく、彼は一瞬、躊躇したものの、そのまま走り去ってしまう。自宅に戻り、なんとか婚約者との関係を修復した彼は、事故で車が接触した部分のパーツを交換してガレージにしまい、それからは会社の車を使うようになる。
一方、スーパーマーケットで働くシングルマザーのラウラは、警官から息子が轢き逃げにあって病院に運ばれたことを知らされ、胸が張り裂ける思いで昏睡状態の息子を見守る。その息子は一度、意識を取り戻し、撥ねた車の車種を告げるが、病状が悪化し死亡する。その後、ラウラは車種を手がかりに独力で轢き逃げ犯を捜し続けるが、疲れ果てて川に身を投げる。そんな彼女を救ったのはフィリップで、やがてふたりの間には恋愛感情が芽生えるようになるが――。
クリスティアン・ペッツォルト監督の作品では、車がしばしば重要な役割を果たす。『治安』(00)では、元過激派の夫婦とその娘にとって車が彼らの居場所となり、車を軸に物語が展開していく。『イェラ』(07)では、車による無理心中という行為が物語の鍵を握る。『イェリフォ(原題)/Jerichow』(08)では、川にはまりかけて立ち往生する車が出会いのきっかけとなって、三角関係のドラマへと発展していく。
そして、この『ヴォルフスブルク(原題)/Wolfsburg』も例外ではない。映画の物語そのものには、これといった新しさがあるわけではないが、フィリップとラウラをめぐるエピソードが巧みに車に結びつけられていく。
フィリップは車で移動する。彼の心の動きも、しばしば車内からの視点と絡めて表現される。たとえば、彼が事故現場の脇を通り過ぎると、そこには十字架が立ち、花が供えられ、被害者が死亡したことがわかる。これに対して、ラウラは常に自転車で移動する。轢き逃げ犯を探すときも、自転車であちこち尋ねまわる。つまり、双方の視点は、車と自転車で分けられている。
それを踏まえると、川に身を投げたラウラを、フィリップが助けるエピソードがより興味深いものになる。フィリップが夜道を走行しているときに、自転車に乗ったラウラに気づく(彼は事故後、不安のあまり病院を訪れ、彼女のことを知っている)。フィリップは自転車を追い抜いてしばらく進んでからUターンする。
彼は人気のない道でラウラに向き合い、告白する決心をしたのかもしれない。もしそういう展開になっていれば、車と自転車の視点の境界が崩れることはなかっただろう。ところが、橋まで戻ったところで、欄干に自転車だけが残されていることに気づき、川に入って彼女を救出する。そしてラウラは、車で自宅に運ばれて以来、フィリップと車内からの視点を共有するようになる。 |