ヴォルフガング・ベッカー監督の『グッバイ、レーニン!』に描かれるのは、ベルリンでなければ語ることができない物語である。主人公の若者アレックスは、母親や姉と東ベルリンに暮らしている。ベルリンの壁が崩壊するひと月ほど前のこと、愛国者の母親は、改革を求めるデモに参加する息子の姿を目の当たりにして心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。
彼女が奇跡的に目覚めるのは、8ヵ月後の90年6月ことで、壁が崩壊した世界には資本主義の波が押し寄せ、姉はバーガーキングで働き、ドイツの統一が迫りつつある。
母親がもう一度ショックを受けたら命取りになると医師に告げられたアレックスは、自宅の一室に壁の崩壊以前の世界を再現し、芝居を始める。テレビが見たいと言われれば、映画マニアの友人に協力してもらい、編集した古いニュースをビデオで流す。
窓からコカコーラの巨大な看板が見えてしまうと、実はコカコーラは東ドイツの発明だったというニュースをでっち上げ、歩けるようになった母親が勝手に外に出て、変貌を目にしてしまうと、資本主義に疲れた西の難民を受け入れているというニュースをでっち上げる。
しかしこの映画は、真実が露見するかどうかをめぐる単純な悲喜劇でもなければ、母と息子の絆を描くだけの物語でもない。その魅力は、同じように壁の崩壊以前と以後が鍵を握るグレゴー・シュニッツラー監督の『レボリューション6』と対比してみると明確になる。
『レボリューション6』では、爆弾の爆発によってふたつの時代に繋がりが生まれる。西ベルリンで、アメリカや資本主義に対してアナーキーな抵抗運動を繰り広げていた六人の若者たち。彼らが仕掛け、不発に終わった時限装置が、15年後に目を覚ます。その結果、今ではそれぞれの道を歩む主人公たちは、犯罪の証拠となるフィルムをめぐって、警察と駆け引きを繰り広げることになる。
この映画で、6人のなかでいまだに抵抗運動を続けている二人組の前に立ちはだかるベテラン刑事は、こんな台詞を口にする。「右と左の闘いは終わった。いまは勝ち組と頑固な負け組の闘いだ」。確かに、彼らの仲間たちは去っていってしまったが、現実はそれほど単純ではない。共産主義体制は崩壊したが、それは必ずしも西側の勝利を意味するわけではない。
80年代にアメリカやイギリスから世界に広がったグローバリズムは、"自由"を非情な競争原理に基づく金儲けと無限の消費に変えてしまった。壁を崩壊に導いたのも、西や東の意味を奪い去る圧倒的な経済の力でしかない。だから旧東ドイツの人々は、西側に幻滅し、ノスタルジーに駆られたのだ。そんな現実に対してこの映画では、バラバラになった仲間たちが、爆発をきっかけに過去を見つめなおし、再び力を合わせることによって、その「勝ち組と頑固な負け組」という図式を修正していくのである。
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