さあ帰ろう、ペダルをこいで
The World Is Big And Salvation Lurks Around The Corner  Svetat e golyam i spasenie debne otvsyakade
(2008) on IMDb


2008年/ブルガリア=ドイツ=ハンガリー=スロベニア=セルビア/カラー/105分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:Into the Wild 2.0 | 大場正明ブログ 2012年5月9日更新)

 

 

見えない世界と繋がるサイコロを振るとき
新たな人生が始まる

 

 ステファン・コマンダレフ監督の『さあ帰ろう、ペダルをこいで』(08)については、試写を観るだいぶ前から、ステファン・ヴァルドブレフが手がけたサントラを聴いていた。

 ブルガリアを代表するクラリネット奏者で、バルカンの伝統やジャズを取り込んだ独自のジャンル(“ウェディング・バンド”ミュージック)を確立したIvo Papazovが参加していたこともあるが、さらにもうひとり、興味をそそられるミュージシャンが参加していた。

 カメン・カレフ監督の『ソフィアの夜明け』の音楽と劇中のパフォーマンスで大きな注目を集めるようになったソフィア出身のバンド“Nasekomix”。このバンドでヴォーカル、アコーディオン、キーボードなどを担当するAndronia Popovaが1曲だけ参加し、ラテン・ナンバーを歌っている。そのことについては、ブログで彼らのデビューアルバム『Adam’s Bushes Eva’s Deep』を取り上げたときに書いた。

 これはお気に入りのサントラなので、それを聴きながらテキストを読んでいただければと思う。

 冷戦と冷戦以後の時代を見直すために、時間の断層をうまく使っている映画がある。たとえば、ヴォルフガング・ベッカー監督の『グッバイ、レーニン』(03)だ。主人公のアレックスは、母親と姉と東ベルリンで暮らしている。ベルリンの壁が崩壊するひと月ほど前のこと、愛国者の母親は、改革を求めるデモに参加する息子の姿を目の当たりにして心臓発作を起こし、昏睡状態に陥る。

 彼女が奇跡的に目覚めるのは8ヵ月後の90年6月のことで、すでに資本主義の波が押し寄せ、姉はバーガーキングで働いている。医者から母親がもう一度ショックを受けたら命取りになると告げられたアレックスは、自宅の一室に壁の崩壊以前の世界を再現する。

 さらに、グレゴー・シュニッツラー監督の『レボリューション6』(02)では、かつて西ベルリンでパンクを信奉し、アメリカや資本主義に対してアナーキーな抵抗運動を繰り広げていたグループが仕掛けたものの、不発に終わった時限装置が15年後に目を覚まし、爆発を起こす。捜査を開始した警察が押収したもののなかには、グループの犯罪の証拠となるフィルムが紛れ込んでいたため、かつてのメンバーたちは、警察との駆け引きのなかで過去と向き合うことになる。

 コマンダレフ監督の『さあ帰ろう、ペダルをこいで』でも、導入部から時間の断層が浮かび上がってくる。両親と息子のアレックスの一家は、1983年、共産主義体制下のブルガリアからドイツへと移住した。それから25年後、一家は、ブルガリアへの里帰りの途中で交通事故に遭い、両親は死亡し、アレックスは記憶喪失になってしまう。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ステファン・コマンダレフ
Stephan Komandarev
脚本 デュシャン・ミリチ、ユーリ・ダッチェフ
Dusan Milic, Yuri Datchev
原作/脚本 イリヤ・トロヤノフ
Ilija Trojanow
撮影 エミール・フリストフ
Emil Christov
編集 ニーナ・アルタパルマコヴァ
Nina Altaparmakova
音楽 ステファン・ヴァルドブレフ
Stefan Valdobrev
 
◆キャスト◆
 
バイ・ダン   ミキ・マノイロヴィッチ
Miki Manojlovic
アレックス(成人) カルロ・リューベック
Carlo Ljubek
ヴァスコ フリスト・ムタフチェフ
Hristo Mutafchiev
ヤナ アナ・パパドプル
Anna Papadopulu
マリア ドルカ・グリルシュ
Dorka Gryllus
スラドカ祖母 リュドミラ・チェシメジーエヴァ
Lyudmila Cheshmedzieva
アレックス(少年) ブラゴヴェスト・ムタフチェフ
Blagovest Mutafchiev
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(配給:エスピーオー)
 

 孫を心配してブルガリアからやってきた祖父バイ・ダンは、病院で無為に日を送るアレックスを元気づける。ふたりは祖父の発案で、タンデム自転車に乗ってヨーロッパを横断し、祖国ブルガリアを目指す。

 アレックスが誕生したのは75年で、両親と亡命したときにはまだ8歳だった。一家はイタリアの難民キャンプの劣悪な環境に耐え、なんとか西ドイツにたどり着いたものの、幸福を手にしたとはいいがたい。事故に遭う前、アレックスは、電気製品の取扱説明書を翻訳する仕事をし、ひとりで引きこもりに近い生活を送っていた。

 これは、冷戦とそれ以後の時代の流れのなかで、自分で人生を選択する機会に恵まれることなく、成長せざるをえなかったより若い世代の物語といえる。しかし、記憶喪失という時間の断層が、彼にその機会をもたらす。

 映画の原題は、直訳すれば「世界は広い、救いは何処にでもある」になる。タンデム自転車でヨーロッパを横断すれば、世界の広さを肌で感じとることができるし、確かにドラマには救いとなるような出会いもある。しかし、おそらくこの原題は、目に見える世界の広さや触れることのできる他者との関係を意味しているだけではない。

 バイ・ダンはバックギャモンの名手で、このボードゲームが祖父と孫の絆の象徴になっていく。しかし、バックギャモンは、さらに重要なものを象徴してもいる。より厳密にいえば、バックギャモンというより、サイコロが、というべきだろう。

 映画の冒頭で、一家が事故に遭ったときには、車のルームミラーに吊るされたサイコロが激しく揺れている。映画のラストでは、振ったサイコロが転がる短い時間が引き延ばされ、アレックスのなかにこれまでの人生がすべて蘇る。

 そんなサイコロを見ながら、あるいはこれまで常にサイコロとともにあったバイ・ダンという存在に魅力的なオーラを感じながら、筆者は、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』のなかに出てくる「職人歌合」にまつわる記述を思い出していた。

 神仏と関係を持つ職人歌合は、遅くとも13世紀後半から14世紀にかけて成立したのだという。この歌合では、二種類の職人が左右にわかれて一番(ひとつがい)をなしているが、その二種類の職人の関係が想像力を刺激する。たとえば、以下のような記述だ。

興味深いのは、「東北院歌合」で巫女と博奕打が番いにされている点です。そもそも博奕打が職人歌合に登場するということ自体、十三世紀以前の社会の特徴が非常によくあらわれていて、おもしろい問題がそこにはあるのですが、おそらくこれは博奕打も巫女も、一方はさいころで、一方は神がかりによって、神の意志を伝える。そういう職人としての番いにされているのではないかと私は思うのです

 バイ・ダンは、サイコロを通して見えない世界と繋がっている。そのサイコロが(象徴するものが)司ってきた時間や空間、人の営みは長大であり、冷戦と冷戦以後という時代の流れすら小さなものにしてしまう。時間の断層に立つアレックスは、バイ・ダンからそんなサイコロを引き継ぎ、新たな人生を歩みだすのだ。

《参照/引用文献》
『日本の歴史をよみなおす(全)』網野善彦●
(ちくま学芸文庫、2005年)

(upload:2012/07/09)
 
 
《関連リンク》
『ソフィアの夜明け』 レビュー01 ■
『ソフィアの夜明け』 レビュー02 ■

 
 
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