孫を心配してブルガリアからやってきた祖父バイ・ダンは、病院で無為に日を送るアレックスを元気づける。ふたりは祖父の発案で、タンデム自転車に乗ってヨーロッパを横断し、祖国ブルガリアを目指す。
アレックスが誕生したのは75年で、両親と亡命したときにはまだ8歳だった。一家はイタリアの難民キャンプの劣悪な環境に耐え、なんとか西ドイツにたどり着いたものの、幸福を手にしたとはいいがたい。事故に遭う前、アレックスは、電気製品の取扱説明書を翻訳する仕事をし、ひとりで引きこもりに近い生活を送っていた。
これは、冷戦とそれ以後の時代の流れのなかで、自分で人生を選択する機会に恵まれることなく、成長せざるをえなかったより若い世代の物語といえる。しかし、記憶喪失という時間の断層が、彼にその機会をもたらす。
映画の原題は、直訳すれば「世界は広い、救いは何処にでもある」になる。タンデム自転車でヨーロッパを横断すれば、世界の広さを肌で感じとることができるし、確かにドラマには救いとなるような出会いもある。しかし、おそらくこの原題は、目に見える世界の広さや触れることのできる他者との関係を意味しているだけではない。
バイ・ダンはバックギャモンの名手で、このボードゲームが祖父と孫の絆の象徴になっていく。しかし、バックギャモンは、さらに重要なものを象徴してもいる。より厳密にいえば、バックギャモンというより、サイコロが、というべきだろう。
映画の冒頭で、一家が事故に遭ったときには、車のルームミラーに吊るされたサイコロが激しく揺れている。映画のラストでは、振ったサイコロが転がる短い時間が引き延ばされ、アレックスのなかにこれまでの人生がすべて蘇る。
そんなサイコロを見ながら、あるいはこれまで常にサイコロとともにあったバイ・ダンという存在に魅力的なオーラを感じながら、筆者は、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』のなかに出てくる「職人歌合」にまつわる記述を思い出していた。
神仏と関係を持つ職人歌合は、遅くとも13世紀後半から14世紀にかけて成立したのだという。この歌合では、二種類の職人が左右にわかれて一番(ひとつがい)をなしているが、その二種類の職人の関係が想像力を刺激する。たとえば、以下のような記述だ。
「興味深いのは、「東北院歌合」で巫女と博奕打が番いにされている点です。そもそも博奕打が職人歌合に登場するということ自体、十三世紀以前の社会の特徴が非常によくあらわれていて、おもしろい問題がそこにはあるのですが、おそらくこれは博奕打も巫女も、一方はさいころで、一方は神がかりによって、神の意志を伝える。そういう職人としての番いにされているのではないかと私は思うのです」
バイ・ダンは、サイコロを通して見えない世界と繋がっている。そのサイコロが(象徴するものが)司ってきた時間や空間、人の営みは長大であり、冷戦と冷戦以後という時代の流れすら小さなものにしてしまう。時間の断層に立つアレックスは、バイ・ダンからそんなサイコロを引き継ぎ、新たな人生を歩みだすのだ。 |