ソフィアの夜明け (レビュー02)
Eastern Plays


2009年/ブルガリア/カラー/89分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:『ソフィアの夜明け』劇場用パンフレット)

映画が見せる深遠な世界が
私たちの心を震わせる

 カメン・カレフ監督の長編デビュー作『ソフィアの夜明け』には正直、心が震えた。この映画には、凄みがあり、深遠な世界がある。だが、それがどのように生み出されているのかを言葉で説明するのは容易ではない。

 主人公イツォを演じ、撮影終了間際に他界したフリスト・フリストフの存在はもちろん大きい。カメン監督は、この幼なじみの実人生にインスパイアされて物語を紡ぎ出した。映画の多くの場面は、フリストが実際に生きた場所で撮影され、実人生で恋人だった女性も登場する。そういう意味ではドキュメンタリーに近い。

 しかし、フリストが漂わせるオーラやドキュメンタリー的なアプローチだけでは、この映画にはならない。フィクションもまた重要な役割を果たしている。イツォの弟ゲオルギとトルコ人女性ウシュルは架空の人物であり、イツォとの間にそれぞれに興味深い関係を築いていく。

 この映画の導入部では、イツォとゲオルギの生活が交互に描かれる。戸惑いながらタトゥーを入れ、スキンヘッドのグループに引き込まれていくゲオルギが、過去のイツォ、現在のイツォへの道を歩むもうひとりのイツォであることを察するのは難しいことではない。ゲオルギがそのままの道を歩めば、疎外と孤独のなかで薬物中毒になり、メタドンの治療を受けることになってもおかしくはない。

 他の監督であれば、イツォ自身に過去を語らせるか、フラッシュバックで過去を表現するかもしれない。だがカメン監督は、もうひとりのイツォを登場させる。イツォは、スキンヘッドの一員となってトラブルを引き起こすゲオルギに自分の過去を見る。そして久しぶりに実家を訪ね、弟と言葉を交わす。そこには、自分を救おうとするというニュアンスが込められている。だが、絶望を背負ったイツォには、何が救いなのかわからない。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/プロデユーサー/編集   カメン・カレフ
Kamen Kalev
撮影監督 ユリアン・アタナソフ
Julian Atanassov
ミュージック・スコア ジャン=ポール・ウォール
Jean-Paul Wall
プロデューサー/編集 ステファン・ピリョフ
Stefan Piryov
プロデューサー フレデリク・ザンダー
Frederik Zander
編集 ヨハネス・ピンター
Johannes Pinter
 
◆キャスト◆
 
イツォ   フリスト・フリストフ
Christo Christov
ゲオルギ オヴァネス・ドゥロシャン
Ovanes Torosian
ウシュル サーデット・ウシュル・アクソイ
Saadet Isil Aksoy
ニキ ニコリナ・ヤンチェヴァ
Nikolina Yancheva
ウシュルの母 ハティジェ・アスラン
Hatice Aslan
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(配給:紀伊國屋書店、マーメイドフィルム)
 

 そんなイツォの心を動かすのがウシュルだが、カメン監督は単なる恋愛感情を描くために彼女を登場させているわけではない。ウシュルはまず、絶望ゆえに心や口を閉ざすイツォの代弁者となる。彼女は、この世界が緊張に満ち、誤った方向へと暴走し、人々の魂が病んでいると語る。イツォにはそれが痛いほどよくわかっている。

 ウシュルはそんな世界の状況を踏まえた上で、精神の救済や解放について語る。特別な力を持ったある人物に出会い、真実に目覚めた彼女は、プログラムされた生を解除し、自由になるために努力しているという。しかし、肉体の治療で精一杯のイツォには、精神の次元に目を向ける余裕はない。彼の医師も信仰の重要性を認めているが、処方するのはあくまで肉体のための薬だ。彼は苛立ち、絵に集中することもできなくなる。

 カメン監督は、そんなイツォの内面の変化を、音楽も絡めた独自の表現で描き出してみせる。イツォとウシュルは、ソフィア出身のバンドNasekomixのライブを見るが、バンドの演奏はその前のシーンから流れている。タクシーの運転手は、トルコ語で挨拶するような男女を快く思っていないだろう。そんな緊張をはらむシーンからライブに切り替わり、美しい歌声とウシュルの存在が重なる。

 さらに終盤でも同じバンドの演奏を使って、対照的なシーンが繋がれる。夜の街を孤独に彷徨うイツォの横顔に音楽が重ねられ、ライブハウスに切り替わる。そこで歌声に聴き入る彼は、ウシュルに触れているように見えるだろう。そして、グールドのバッハが流れる夜明けの街で、イツォは不思議な体験をする。老人に導かれた彼は、窓からさしこむ淡い光のなかでまどろむ。彼の肩や膝に触れる老人の手は、ウシュルを覚醒させた人物のそれを想起させる。目覚めたイツォが目にするのは、おそらく幼い頃の自分の姿だろう。彼は浄化され、新たな世界へと踏み出していく。

 カメン監督は、イツォ=フリストの人生を掘り下げるだけではなく、ゲオルギやウシュルを通して彼と対話し、祈るような気持ちで神秘的なヴィジョンを切り拓いた。だからこの映画には、凄みがあり、深遠な世界があり、私たちの心を震わせるのだ。


(upload:2011/11/17)
 
 
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