※この映画に素直に感動された方は、筆者の解釈によって不愉快な気持ちになるかもしれませんので、ご注意ください。
ボアズ・イェーキンの新作「タイタンズを忘れない」は、これ以上ないほど痛快な映画だ。これを、実話を映画化した作品として、絶賛したり、よい映画だと思う人は、確かにそうとうおめでたい。しかしだからといって、きれい事だらけの、偽善的でご都合主義のヒューマンドラマと単純に批判するのは、あまりにも安易すぎる。
12歳の黒人ドラッグ・ディーラーを描いた「フレッシュ」を見ればわかるように、イェーキンという監督は、やろうと思えば人種問題という題材で、人物や状況をいくらでも深く掘り下げられる感性も能力も持ち合わせている。それでは、本当はやろうとしたのに、配給のディズニーやプロデューサーのブラッカイマーの制約があって、実力を発揮することができなかったのかといえば、それも違う。イェーキンはそんな制約があっても、彼らしいリアルな視点の痕跡くらいは、いくらでも残せる監督である。彼は最初から意図して、こういう映画を作ったのだ。こういう映画とは、物語のもとになっている実話という要素を完全に無視したファンタジーということである。
彼の狙いは非常によくわかる気がする。この実話の映画化に際して、配給のディズニーやブラッカイマーが最も期待しているのは、少なくともイェーキンならではの人間や社会に対する洞察ではない。たとえば、この題材を、アメリカが保守化し、人種差別の風潮が強まった80年代に映画化しようとするなら、まだそこにはハリウッド・リベラルの心意気というものも感じられる。しかし、いまこの配給とプロデューサーで映画化しようとするのは、何よりもこれが美談であるからに違いない。
そんな状況や立場で監督を手がけた場合、能力もあり、黒人社会も描いたことのある監督が最も後悔するのはなにかといえば、実話を半端なヒューマンドラマとして映画にしてしまうことだ。イェーキンはそういう後悔をしないために、実話を完全に無視し、このファンタジーを作り上げた。もちろん、ファンタジーにするために彼が全力を傾けても、文句をいうお偉方はひとりもいなかっただろう。
この映画には、この世に絶対に存在しないファンタジーを作ってしまえという彼の明確な意思が細部にまで見事に反映されている。映像は美しく、キャストもデンゼル・ワシントンやウィル・パットンを筆頭としてありえない夢の世界の住人を好演している。南北戦争の激戦地の場面は、そんな夢の世界のハイライトだといえる。そして、このあまりにも美しく感動的なファンタジーに酔いしれ、現実の世界に戻ってきたわれわれは、より普遍的な意味で現実の醜さや惨めさをあらためて痛感することになるのである。これは、へそ曲がりのアルトマンでも思いつかないような、きわめてブラックな出色のファンタジーなのだ。
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