ボアズ・イェーキンは、筆者が最も期待し、また信頼している若手監督のひとりだ。彼は80年代末に、『パニッシャー』や『ルーキー』の脚本家として活動を始めたが、仕事に満足できなかったためかすぐにハリウッドと距離を置き、小説を執筆する準備にかかる。
そんな彼に声をかけたのが、タランティーノを世に送り出したプロデューサー、ローレンス・ベンダーだった。イェーキンは彼のプロデュースのもとで、脚本を書き、監督デビューを飾る。それが、出口のない黒人社会を舞台に、ドラッグ・ディーラーとして生きる12歳の少年の姿を描いた『フレッシュ』だ。
この映画で、非情な世界に身を置き、傷つきながらも必死に大人たちと渡り合い、自分に目覚めていく少年の生き様は、忘れがたい鮮烈な印象を残す。イェーキンには、社会と人間を掘り下げる優れた洞察力があり、チェスの駆け引きを通して少年の心の変化をとらえるような豊かな表現力がある。要するに、日常に根ざしたしっかりとしたドラマが作れ、人間が描けるということだ。こういうタイプの作家は、いそうでいない。
その『フレッシュ』の次に日本で公開されたのは、3作目の『タイタンズを忘れない』だった。この企画は、ひとたびハリウッドと距離をおき、インディーズに活動の場を見出した彼にとって難しい選択だったと思う。メジャー作品で、しかも脚本を手がけない監督のみの起用だったからだ。人種問題がからむ実話という題材は、確かに彼に相応しいように見えるが、製作サイドは感動的な美談だから映画化しようとしているにすぎない。
『フレッシュ』で黒人社会の苛酷な現実を描いたイェーキンが、そんな立場でどうしても避けたかったのは、実話を大味なヒューマンドラマにしてしまうことだったはずだ。そこで彼は、逆転の発想でこの難題をクリアする。やろうと思えばよりリアルなドラマを作れるのに、あえて実話を無視し、完全なファンタジーを作ったのだ。
この映画には、偽善的とかご都合主義といった意見が少なくなかったが、そう批判すること自体、すでにイェーキンの術中にはまっている。この世にあり得ないファンタジーは、現実の醜さや惨めさを人々に再認識させることになるからだ。
というわけで、ますますイェーキンに惚れ込んだ筆者が公開を待ち望んでいたのが、2作目のこの『しあわせ色のルビー』だ。『フレッシュ』につづいてベンダーと組み、脚本、監督を手がけたこの映画からは、まさにイェーキンならではの世界とドラマが浮かび上がってくる。
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