しあわせ色のルビー
A Price Above Rubies


1998年/アメリカ=イギリス/カラー/117分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:『しあわせ色のルビー』劇場用パンフレット)

 

 

社会と人間に対する鋭い洞察力と豊かな表現力
ユダヤ系社会のなかで自己を発見し、輝きを放つヒロイン

 

 ボアズ・イェーキンは、筆者が最も期待し、また信頼している若手監督のひとりだ。彼は80年代末に、『パニッシャー』や『ルーキー』の脚本家として活動を始めたが、仕事に満足できなかったためかすぐにハリウッドと距離を置き、小説を執筆する準備にかかる。

 そんな彼に声をかけたのが、タランティーノを世に送り出したプロデューサー、ローレンス・ベンダーだった。イェーキンは彼のプロデュースのもとで、脚本を書き、監督デビューを飾る。それが、出口のない黒人社会を舞台に、ドラッグ・ディーラーとして生きる12歳の少年の姿を描いた『フレッシュ』だ。

 この映画で、非情な世界に身を置き、傷つきながらも必死に大人たちと渡り合い、自分に目覚めていく少年の生き様は、忘れがたい鮮烈な印象を残す。イェーキンには、社会と人間を掘り下げる優れた洞察力があり、チェスの駆け引きを通して少年の心の変化をとらえるような豊かな表現力がある。要するに、日常に根ざしたしっかりとしたドラマが作れ、人間が描けるということだ。こういうタイプの作家は、いそうでいない。

 その『フレッシュ』の次に日本で公開されたのは、3作目の『タイタンズを忘れない』だった。この企画は、ひとたびハリウッドと距離をおき、インディーズに活動の場を見出した彼にとって難しい選択だったと思う。メジャー作品で、しかも脚本を手がけない監督のみの起用だったからだ。人種問題がからむ実話という題材は、確かに彼に相応しいように見えるが、製作サイドは感動的な美談だから映画化しようとしているにすぎない。

 『フレッシュ』で黒人社会の苛酷な現実を描いたイェーキンが、そんな立場でどうしても避けたかったのは、実話を大味なヒューマンドラマにしてしまうことだったはずだ。そこで彼は、逆転の発想でこの難題をクリアする。やろうと思えばよりリアルなドラマを作れるのに、あえて実話を無視し、完全なファンタジーを作ったのだ。

 この映画には、偽善的とかご都合主義といった意見が少なくなかったが、そう批判すること自体、すでにイェーキンの術中にはまっている。この世にあり得ないファンタジーは、現実の醜さや惨めさを人々に再認識させることになるからだ。

 というわけで、ますますイェーキンに惚れ込んだ筆者が公開を待ち望んでいたのが、2作目のこの『しあわせ色のルビー』だ。『フレッシュ』につづいてベンダーと組み、脚本、監督を手がけたこの映画からは、まさにイェーキンならではの世界とドラマが浮かび上がってくる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ボアズ・イェーキン
Boaz Yakin
製作 ローレンス・ベンダー、ジョン・ペノッティ
Lawrence Bender, John Penotti
撮影 アダム・ホレンダー
Adam Holender
編集 アーサー・コバーン
Arthur Coburn
音楽 レスリー・バーバー
Lesley Barber
 
◆キャスト◆
 
ソニア   レニー・ゼルウィガー
Renee Zellweger
センダー クリストファー・エクルストン
Christopher Eccleston
メンデル グレン・フィッツジェラルド
Glenn Fitzgerald
レイチェル ジュリアナ・マルグリース
Julianna Margulies
ラモン アレン・ペイン
Allen Payne
老婆 キャサリーン・チャルファント
Kathleen Chalfant
ラビ ジョン・ランドルフ
John Randolph
ラビの妻 キム・ハンター
Kim Hunter
-
(配給:プレノンアッシュ)
 

 イェーキンの両親はイスラエル生まれのユダヤ系で、息子が厳格なユダヤ教徒として成長することを望み、彼を正統派ユダヤ教の学校に入れた。しかし、ユダヤ教の教義よりも自分を信じる彼は、級友と激論をかわしたり、ラビに睨まれるなど、異端児ぶりを発揮したらしい。という意味ではこの映画は、彼にとってより身近な世界を扱っている。但し、彼の個人的な体験をそのまま物語るような単純な作品ではない。

 ソニアという女性を主人公にしていることは非常に大きな意味を持っている。ユダヤ系のジャーナリストであるチャールズ・E・シルバーマンは、80年代に発表した著書「アメリカのユダヤ人」のなかで、女性の立場についてこのように書いている。「最近にいたるまでユダヤ教は、ユダヤ民族全体ではなく、その半分の男性にささえられてきたにすぎない

 これはユダヤ教全般についての記述だが、この映画で主人公が属しているのは、より厳格で、祈祷を重視し、神秘的な傾向が強いハシディズムのコミュニティである。ということは、信仰を中心とした世界のなかで、彼女は完全に切り捨てられているに等しい。

 イェーキンは、そんな主人公が肉体的、精神的に自分という人間に目覚めていく姿を、鋭い洞察力と豊かな表現力を駆使して描き出していく。それはたとえばセックスに対する視点に現れている。仕事の見返りに身体を求める義兄の行為は卑劣だが、それでもソニアは彼を受け入れる。セックスの間も祈りを欠かさない夫は、彼女の存在を否定しているといっても過言ではないからだ。

 一方でこのドラマは神秘的な空気を漂わせる。ソニアの兄は彼女に、天国にも地獄にも受け入れられず、地上を彷徨いつづける悪魔の子の話をした。ソニアの前に現れる老婆はその化身であり、やがてソニアにも同じ試練が課せられる。

 そしてもうひとつ忘れてならないのが、宝石をめぐるエピソードだろう。『フレッシュ』におけるチェスと同じように、この映画では宝石が主人公の変化を描くうえで重要な役割を果たしている。宝石は、最初はビジネスの世界に彼女の居場所を提供するだけだが、宗教や人種の境界を越えるその美は、やがて彼女の情熱や信念の象徴となる。

 美に導かれるように肉体的、精神的な試練を乗り越えた彼女は、ルビー以上の輝きを放ちだすのだ。

《参照/引用文献》
『アメリカのユダヤ人』 チャールズ・E・シルバーマン●
武田尚子訳(サイマル出版会、1988年)

(upload:2013/01/13)
 
 
《関連リンク》
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