ポルトガルから届けられたオムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す』を楽しむためには、この企画の発端を頭に入れておく必要がある。
ポルトガル北西部に位置する古都ギマランイスは、ポルトガル発祥の地≠ニされ、旧市街地が2001年に(映画の副題にもなっている)ギマランイス歴史地区≠ニしてユネスコの世界文化遺産に登録されている。そんな街がEUによって2012年の欧州文化都市≠ノ指定され、一年間にわたって様々な文化事業が繰り広げられることになり、その一環としてこの映画が製作された。
そこでまず確認しておきたいのは、文化遺産と映画の相性だ。筆者が思い出すのは、フランスの古典学者フランソワ・アルトーグの『「歴史」の体制』のことだ。本書によれば、フランスでは、80年代に記憶と遺産の大ブームが起こり、90年代に遺産化が加速したという。その遺産化のなかで、遺産建造物が法令によってこう定義される。
「我々の遺産、それは我々の歴史の記憶であり、我々の国家的同一性の象徴である」
そうした遺産と映画は、明らかに相性がよろしくない。前者は国民が共有する歴史の記憶であるのに対して、それぞれに独自の世界観を持つ監督たちは、そんな歴史を単純にありがたがりはしないからだ。しかし、双方が当然のように奏でる不協和音は同時に大きな見所にもなる。
フィンランド出身で、現在はポルトガル在住のアキ・カウリスマキは、歴史地区で働くバーテンダーの孤独を台詞も使わずに淡々と描き出す。彼の記憶は誰とも共有されない儚い幻想である。隣国スペイン出身のビクトル・エリセは、かつて繁栄を誇った巨大な紡績繊維工場の廃墟を舞台に、かつてそこで働いた人々の声に耳を傾ける。そこからは、忘れ去られていく個人の歴史が浮かび上がってくる。
一方、ポルトガル出身の監督はさらに鋭く歴史に切り込む。ペドロ・コスタは、「いかにしてギマランイスで撮影しないか」を課題とし、祖国の起源ではなく1974年のカーネーション革命に注目する。ドラマの舞台はほとんど精神病院のエレベーターに限定され、『コロッサル・ユース』にも登場したカーボヴェルデ出身の移民ヴェントゥーラと、彫像のようにも、亡霊のようにも見える兵士が、過去の革命をめぐってシュールな対話を繰り広げる。
そして、最後を飾る現役最高齢のマノエル・ド・オリヴェイラは、ポルトガルの初代国王アフォンソ一世の銅像という共通の歴史を写真に収めようとする観光客たちを軽妙に風刺してみせるのだ。 |