アキ・カウリスマキの新作『ル・アーヴルの靴みがき』の舞台はフランスの港町ル・アーヴル。靴みがきを生業とするマルセル・マルクスは、献身的な妻アルレッティと愛犬ライカとつましく暮らしている。
そんなある日、病に倒れて入院したアルレッティと入れ替わるように、アフリカからの難民の少年イドリッサが家に転がり込んでくる。マルクスは少年を母親がいるロンドンに送り出すために奔走するが、その頃、アルレッティは医師から不治の病を宣告されていた。
この新作はカウリスマキにとって『ラヴィ・ド・ボエーム』(91)以来のフランス語映画になり、マルクスも再登場するが、単なる後日譚にとどまらない。新作以前に作られた『浮き雲』(96)、『過去のない男』(02)、『街のあかり』(06)の三部作では、深刻な経済危機から、痛みをともなう改革、グローバリゼーションの波に乗る繁栄へと変化するフィンランド社会が背景になっていたが、そんな社会的な視点の延長として難民問題を取り上げているだけの作品でもない。
この映画を観ながら筆者が思い出していたのは、ブリューゲルの《十字架を担うキリスト》のなかに入り込むようにして、この名画の意味を浮き彫りにしたレフ・マイェフスキの『ブリューゲルの動く絵』のことだ。その意味とは、復活の奇跡に至る重大な出来事が起こっているときでも、人は直接的な利害が絡まなければ、無関心を装って日々の生活を営みつづけるということだ。
私たちは聖書によって世界を変えた出来事を知っているが、それはあくまで後から得た知識であり、その場に居合わせたらどうしていたかはわからない。カウリスマキの関心もまたそこにある。
『ル・アーヴルの靴みがき』には、聖職者が神学的な問題について議論する場面があるが、彼らは過去の出来事について解釈を繰り広げるばかりで、いまが見えてはいない。主人公マルクスにどれほどの信仰心があるのかは定かではないが、職業に対する理念と誇りは揺るぎない。彼は靴みがきを、最も人に近いところにある職業と考えている。
そして常に人に近くあろうとすることが、人を動かし、人を救い、最終的に恩寵へと繋がっていく。この新作の根底には、言葉にはならないカウリスマキの神学が潜んでいる。 |