社会から孤立した人々を見つめる映画を作りつづけるフィンランドの監督アキ・カウリスマキ。映画的な記憶を自在にたぐる映像と寡黙でユーモラスなドラマから独自の世界を切り開く彼が、新作『白い花びら』で挑んだのはサイレント(音楽付き)映画だ。
主人公のユハとマルヤの夫婦は、小さな村で野菜を育て、仲睦まじく暮らしている。そこに都会人の伊達男シェメイッカが現れ、妻を誘惑する。彼女は男と都会に出るが、憧れは絶望に変わっていく。そして孤独なユハは、ある日斧を手にして都会に向かう。
この物語は、きわめて通俗的なメロドラマという印象を与えるかもしれない。しかし映画からは別の物語が見えてくる。農業を営む主人公夫婦が野菜を売ることは日常的な行為であるはずだが、映画は冒頭の場面で、彼らがまるで生まれて初めて野菜を売りに行くかのように描く。彼らのキャベツは飛ぶように売れ、箱にお金がたまっていく。そのお金をとらえたショットはとても印象に残り、やがてこのドラマが聖書の引用になっていることに気づく。
無垢な夫婦は静かな楽園に暮らしている。しかしキャベツをお金に変える瞬間、そこに消費社会における原罪が暗示され、彼らは無意識のうちに堕落への一歩を踏みだす。彼らの生活はアメリカの50年代を思わせる消費行為へと変化し、そして気づいたときには、人間そのものが消費されている。しかも映像の方もこの物語に呼応するように、サイレント的なメロドラマから50年代のフィルム・ノワールへとそのスタイルが変化していく。 |