ある過去の行方
Le Passe / The Past


2013年/フランス=イタリア/カラー/130分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:月刊「宝島」2014年4月号+映画.com2014年4月8日更新、加筆)

 

 

その場しのぎの借り物の過去と、無期延期された未来
その狭間に囚われた人びとの複雑な心理を炙り出す

 

 アメリカで活躍するイラン生まれの批評家ハミッド・ダバシは、『イラン、背反する民の歴史』のなかで、その本質として多文化的、多民族的でありながら、単一文化という認識を無理に当てはめられているイランを、「その場しのぎの借り物の過去と、無期延期された未来との狭間に囚われ」とか、「『国家』と呼ばれる人工的で無意味な構造のもとに押し込まれた、せめぎ合う『事実』の融合体」といった言葉で表現している。

 そんなダバシの言葉は、アスガー・ファルハディの作品と無関係ではない。このイラン人監督が描き出す家族は、ダバシが言わんとするような国家の縮図になっているからだ。

 同書には「石油経済に支えられた見せかけの富に頼る中流階級」という言葉も出てくるが、『彼女が消えた浜辺』(09)では、そんな中流階級の姿を見ることができる。エリという女性が消えたことで、自分たちの価値観が揺らぎだす彼らは、“その場しのぎの借り物の過去”を生きているといえる。『別離』(11)では、中流階級と下層階級の生活や価値観の違いが複雑に絡み合い、裁判にまで発展するドラマのなかで、事実がせめぎ合うことになる。

 そんなファルハディの洞察と話術は、イランを離れ、パリを舞台にした新作でも変わらない。というよりもより洗練され、複雑な感情を鮮やかに引き出しているといえる。

 離婚の手続をするために4年ぶりにテヘランからパリに戻ったイラン人のアーマドは、成り行きでフランス人の妻の将来をめぐる問題に巻き込まれる。アーマドの前の夫との間にできた二人の娘を育てるマリー=アンヌは、恋人のサミールと彼の息子と同棲し、再々婚に踏み出そうとしている。ところが長女がアーマドに、サミールには自殺未遂で植物状態になった妻がいて、母親にも責任があると告白したことから、事実のせめぎ合いが巻き起こる。

 彼女はなぜ自殺未遂を起こしたのか。私たちは、その原因をめぐるサスペンスに満ちたドラマに引き込まれる。決定的ともいえるような事実が明らかになっても、さらに謎が膨らみ、意外な展開をみせる。

 しかし、最も重要なのはその真相ではなく、過去や未来に対するファルハディの視点だ。この映画では冒頭から、映像と脚本の両面で様々な暗示や伏線が散りばめられている。映像では、窓を通して見るという行為が印象に残るはずだ。空港で再会したアーマドとマリー=アンヌが、駐車場で車をバックさせたときには、雨で後方が見えにくかったために何かに接触してしまう。その後のドラマでは、窓越しに人物を見るショットが頻繁に挿入される。

 この窓をめぐる表現には、ふたつの意味が込められているように思えるが、緻密な脚本に埋め込まれているものを確認すれば、それが明確になるだろう。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   アスガー・ファルハディ
Asghar Farhadi
撮影 マームード・カラリ
Mahmoud Kalari
編集 ジュリエット・ウェルフラン
Juliette Welfling
音楽 ダナ・ファルザネプール、トマ・デジョンケール、ブリュノ・タリエール
Dana Farzanepour, Thomas Desjonqueres, Bruno Tarriere
 
◆キャスト◆
 
マリー=アンヌ   ベレニス・ベジョ
Berenice Bejo
サミール タハール・ラヒム
Tahar Rahim
アーマド アリ・モッサファ
Ali Mosaffa
リュシー ポリーヌ・ビュルレ
Pauline Burlet
フアッド エリエス・アギス
Elyes Aguis
レア ジャンヌ・ジェスタン
Jeanne Jestin
ナイマ サブリナ・ウアザニ
Sabrina Ouazani
シャーリヤル ババク・カリミ
Babak Karimi
ヴァレリア ヴァレリア・カヴァッリ
Valeria Cavalli
-
(配給:スターサンズ)
 

 アーマドとマリー=アンヌが空港で会ってから、彼女の家に落ち着くまでのふたりの会話には、観客の想像をかきたてるようなやりとりがある。アーマドは彼女が予約してくれたホテルに向かうものと思っていたが、マリー=アンヌは彼を家に泊めるつもりで準備をしていた。予約をとらなかった理由は、以前、同じようにアーマドがフランスに来ることになったときにドタキャンしたからということのようだ。

 しかもアーマドは、彼女が新しい恋人とその息子とすでに一緒に暮らしていることを知らなかったから、家に着いても居心地が悪い。だが、彼女はメールで知らせていたという。そこでアーマドはとにかくホテルに移ろうと思うが、彼女から最近反抗的な長女の気持ちを探ってほしいと頼まれたことから、ずるずると家に落ち着いてしまう。その結果、長女からサミールの妻をめぐる問題を聞かされることになる。

 つまり、本来であれば、アーマドは離婚の手続きだけをすませて帰国していたはずだが、偶然が重なることでマリー=アンヌの将来をめぐる問題に巻き込まれる。しかしそれは果たして偶然といえるのだろうか。マリー=アンヌは心のどこかで、アーマドとサミールが対面することを望んでいたように見える。そこに、罪悪感に苛まれながら、なんとか状況を変えたいと望む長女の気持ちが絡む。

 窓をめぐる表現は、一方ではそばにいる人間の内面が見えていないことを示唆する。アーマドが手続きだけで帰国していたら、未来はどうなったのか。彼らは、周りが見えないままに、過去にとらわれ、あるいは切り捨て、現在を生き、未来を選択することになったかもしれない。しかしもう一方では、自分でもはっきりとはわからない感情によって、直接ではなく間接的に相手に働きかけようとするようなふるまいがあることも示唆する。

 そして、明らかになり、せめぎ合う事実によって、アーマドやマリー=アンヌと過去や未来の関係が大きく変わる。再々婚に前向きなマリー=アンヌは未来に目を向けているように見えるが、アーマドに似ているからサミールに惹かれているのかもしれない。一方、アーマドが終盤で4年前にパリを去ったことに責任を感じるように、彼は単に妻の問題に巻き込まれたのではなく、現在の状況は彼の過去と必ずしも無関ではない。さらに、アーマドが長女に漏らす過去を踏まえるなら、かつてのアーマドとマリー=アンヌの関係は、サミールとうつ病だった彼の妻の関係と非常によく似ていることもわかってくる。

 再びダバシを引用するならば、この映画は、「その場しのぎの借り物の過去と、無期延期された未来との狭間に囚われ」た主人公たちが、複雑に絡み合った過去・現在・未来と向き合う苦悩を見事に浮き彫りにしているといえる。

※主演のマリー=アンヌ役には第84回アカデミー賞作品賞に輝いた『アーティスト』の新人女優役で喝采を浴びたベレニス・ベジョ。ジャック・オディアール監督『預言者』でセザール賞主演男優賞を受賞、ロウ・イエ監督『パリ、ただよう花』ほかフランスの演技派若手として注目を集めるタハール・ラヒムが相手役サミールを演じる。

《参照/引用文献》
『イラン、背反する民の歴史』 ハミッド・ダバシ●
田村美佐子・青柳伸子訳(作品社、2008年)

(upload:2014/04/16)
 
 
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