■■失業者と産業の空洞化が行き着く先は刑務所■■
ここで話を再び現実の世界に戻すが、このようなゲーテッド・コミュニティとともに、現代を象徴するものとして、もうひとつ注目すべきものがある。それは刑務所だ。たとえば、マイク・デイヴィスの『要塞都市LA』には、ロサンゼルスの刑務所についてこんな記述がある。
「刑務所および郡拘置所局のような部局は、無数の民間警備会社と同様、一九七〇年代および一九八〇年代初頭の工場閉鎖と産業空洞化のあおりをうけたイーストロサンゼルスにおいてコミュニティ最大の雇用者になっているのだ」
こうした傾向は、浸透する自由市場のもとでさらに加速する。自由市場は、最低限の秩序の維持を刑罰法規にゆだねることで、社会に最大限の放任状態を生みだそうとするからだ。アメリカの市場主義経済は、極端な言い方をすれば、そこに犯罪すら織り込んでいる。
ジョン・グレイが98年に発表した『グローバリズムという妄想』のなかにあるこんな言葉は、それを端的に物語っている。「もしアメリカの刑罰政策が他の西欧諸国のそれと同じようなものであれば求職者になっているだろう百万人もが、アメリカでは刑務所に入っているのである」
工場閉鎖や産業の空洞化のなかで、刑務所が一大産業として発展していく。それは、ムーアの『ロジャー&ミー』でも明らかだ。GMを解雇された失業者たちにとって再就職の道は厳しい。フリントの街は、自動車産業の歴史にまつわるテーマパークを作り、地域の活性化をはかるが、思うように客を集めることができず、無惨な失敗に終わる。
追い詰められた失業者と産業の空洞化の行き着く先は、まさに刑務所である。フリントにも新しい刑務所が建設され、GMは失業者たちに刑務所の看守の仕事を斡旋し、そこには彼らの仲間たちが送り込まれてくるのだ。
■■サバービアと刑務所に共通するメンタリティ■■
サバービアと刑務所は、時代の象徴として深く結びついている。A・M・ホームズが96年に発表した小説『わたしがアリスを殺した理由』では、非常にユニークな設定を通して、ふたつの環境に共通するメンタリティが掘り下げられている。
この物語は、殺人罪ですでに23年間服役している小児性愛者の囚人とサバービアに暮らす19歳の女子大生との手紙のやりとりを軸に構成されている。彼女は、誰も知らない自分の秘密を囚人に打ち明けることにスリルや快感を覚え、囚人もそんな挑発に刺激されて妄想を膨らませていく。
そして、ふたつの世界の距離が次第に曖昧になっていく。たとえば、囚人はふたつの世界の関係をこのように表現する。
「わたしはあなたを、あなたの家の垣根、花壇、ヒイラギの藪、目覚まし時計の音で測られるあなたの人生、車の相乗りの当番を思う。自分だって囚人同然だというが、自分の決断や欲望の無力さに不安を覚えるまでは、あなたは自由だ」
「わたしがいいたいのは、かくもたくさんのわたしたちが閉じこめられていたら、犯罪がなくなってもいいのではないかということだ。なお起こるとしたら、それはあなたであってわたしではないという意味だ。(中略)安全を確保すること、信じること、愛と理解を得ることがむずかしくなればなるほど、だまし、嘘をつき、盗み、さらには殺しさえする資格があり、許され、奨励されていると感じるだろう。今、そう感じはじめたばかりだというのであれば、あなたは長いこと幸運だったというだけだ」
刑務所とサバービアは対極の世界に見えながら、共通する閉塞感のなかで、抑圧された欲望と現実が激しくせめぎあっているのだ。
■■テクノロジーを駆使した要塞に翻弄されていく人々■■
放任状態を生む自由市場とセキュリティに対するパラノイア的な需要によって、サバービアと刑務所はそれぞれに要塞化されていく。それは、人間が自由よりも、テクノロジーによる監視やコントロールを優先することを意味する。そこからは、メンタリティとは異なる次元で、もうひとつのヴィジョンが浮かび上がってくる。
たとえば、バラードの『殺す』のなかにあるこんな表現はそのヒントになるだろう。「生者にも、そして死者にも、壁の内側の出来事にも無関心なパングボーン・ヴィレッジは、こののちも保ちこたえるだろう」。つまり、住人は自分たちを守るために要塞を築くが、要塞自体には人間を守る意思などなく、住人が自滅しても、何事もなかったように稼動しつづける。
ジョン・グレイは『グローバリズムという妄想』のなかで、そのヴィジョンをこのような表現に集約している。「自分たちが逃れてきた社会の危険から高い壁と電子警備装置に守られて居住者が暮らす警護門つきの民間高級団地は、アメリカの刑務所をちょうど逆さまに映すようなものである。それらは、かつては機能する社会を支えた社会的制度――家族、隣近所、さらには企業さえ――が空洞化してしまったことを象徴している。ハイテクを駆使した刑務所、壁に囲まれた高級団地、実体のないバーチャル企業の組み合わせは、二十一世紀初頭のアメリカのしるしとして認識されるかもしれない」 |