ディアオ・イーナン・インタビュー
Interview with Yinan Diao


2014年 月島
薄氷の殺人/白日焔火/Black Coal, Thin Ice――2014年/中国=香港/カラー/106分/アメリカン・ヴィスタ
line

【PAGE-2】

BACK

 

――あなたのデビュー作『制服』(03)では、実家の仕立て屋で働く青年が、警官の制服を手に入れることで、警官になりすまし、別の顔を持ちます。彼が想いを寄せるビデオショップの店員も別の顔を持っていることが明らかになります。この新作でも、ジャンとウーがお互いに自分を偽りながら触れ合い、やがて別の顔が見えてきます。あなたは、こうした登場人物たちが持つ複数の顔をどう思いますか。

「そのように尋ねられて考えてみると、やはり人生が一度しかないことが残念に思われるということです。同じ時間にもうひとつの顔があると、それを補うことができます。普通は自宅と職場を毎日、往復するだけで、まったく何の変化もないつまらない人生になるかもしれません。そういうときに別の運命を作り出すことが興味深く、主人公が様々な顔を持つようにしたわけです。『制服』では、主人公が仕立て屋と警察官の両方の顔を持つことで、自分の存在をより強く確認していきます。『薄氷の殺人』のヒロインは、とても辛い境遇、哀しい運命にあるわけですが、別の顔を持つことによって別の人生を歩むことができ、存在を確認していきます。私自身も変化のない日常を生き、映画を撮ることによって自分の人生経験をより豊かにし、別の人生を歩むことができるわけです」

――この映画の「Black Coal, Thin Ice」という英語タイトルは、燃えて熱を出す石炭と冷たい氷のコントラストが、たぎる欲望と裏切りを象徴していて、頷ける気がしたのですが、あたなはどう思いますか。

「私には英語力がなく、このタイトルは、中国映画の字幕をよく手がけているアメリカ人の翻訳家がつけてくれたものなのですが、私もとてもいいと思っています。私がこの男女の関係のどこに引きつけられたかというと、愛の不確定さということです。ふたりの間に本当に愛はあるのだろうか。あることはある、でも本当に愛と呼べるものなのか。その微妙で曖昧な関係、揺れる想いというのが面白いと思います。さらにふたりの関係はとても複雑でもあります。それぞれが重い過去を背負っていて、とても危険な感じがします。お互いにカードを切りながら、どちらが有利に立てるかという駆け引きを繰り広げているような感覚もあります。それが熱い石炭と冷たい氷を連想させるのです」

 

 

 
 


――この映画の導入部では、ジャンと妻が最後のセックスをして別れるドラマとバラバラ殺人が騒ぎを巻き起こしていくドラマが、並行して描かれます。しかもそんな構成のなかで、ジャンに抱かれる妻の手首と、ベルトコンベアで石炭とともに運ばれていく切断された手首の映像が交錯します。
 さらに、ウーが刑事たちと向き合い、夫の訃報に接する場面も印象に残ります。彼女は手で顔を覆って泣き続けるため、私たちには顔が見えません。それはもちろん、ウーの顔がはっきり映し出される瞬間を際立たせる役割を果たします。しかしこの場面には、別の意図も感じます。最初に映し出されるのは、ウーのすらりと伸びた足で、映像が切り替わっても、彼女が顔を覆っているために足が目立ち、死に関わる場面でありながら、妙にエロティックに見えます。
 あなたは、この死とエロティシズムの結びつきをどのように考えていますか。

「死と性の関係というのは、硬貨の裏表のように非常に興味深いものです。これらの主題については、すでに日本のいろいろな監督が表現しています。特に大島渚監督の『愛のコリーダ』のなかで語られています。私は死と性は常に一緒にあるものだというふうに思っています。性と暴力が引き離せないのと同じです。私にはうまく説明できないのですが、本能的に死と性というふたつの要素を同時に表現しようとしているような気がします。おそらくこれは人間が誰しも死に対する恐怖というものを持っていて、その恐怖に対して私たちを慰めるようなものとして性が出てくるのではないでしょうか。また、性という状況において死を迎えるということは、カーニバルのような感覚でもあります」

――この映画の時代は、1999年の夏と2004年の冬に設定され、季節の違いが見事なコントラストを生み出しますが、1999年と2004年に設定したことにはなにか特別な意味があるのでしょうか。

「始まりを1999年に設定したことについてですが、当時はDNA鑑定ができる施設が北京にひとつあるだけで、まったく普及していませんでした。地方で事件が起こって、それが必要な場合には、個人が1万元とか2万元という多額の費用を負担して鑑定に出さなければならず、そんなことができる家族もなかなかいなかったので、冤罪が多発しました。しかし99年以降、DNA鑑定が徐々に普及し、冤罪が減少していったという背景があります。
 実は最初の設定は99年ではなく、89年にしていました。89年というのは天安門事件が起きた時期で、それなりに意味を持つ面白い設定だと思っていたのですが、あまりにも政治的な意味合いを持たせてしまうと焦点がぼやけ、結果的にはよくないのではないかと思い、99年に設定をしなおしました。それに89年をどういうふうに見るかということについて、映画監督としてまだ明確な答を出せていないのに、安易に批判してしまうことは控えなければいけないとも思いました」

――最後に、次回作についてはどのような構想を持たれているのでしょうか。

「だいたいの考えは頭のなかにあるのですが、まだ具体化してはいません、いちばん撮りたいテーマが自分のなかに降りてくるのを待っているような状態です。たぶん、悪人とかグレーゾーンにいる人物が出てくる作品になると思います」

 
【PAGE-2】

(upload:2015/03/05)
 
 
《関連リンク》
ディアオ・イーナン 『薄氷の殺人』 レビュー ■
ディアオ・イーナン 『制服(原題)』 レビュー ■
チャン・ヤン 『こころの湯』 レビュー ■
チャン・ヤン 『スパイシー・ラブスープ』 レビュー ■
ジャ・ジャンクー 『罪の手ざわり』 レビュー ■
リウ・ジエ 『再生の朝に−ある裁判官の選択−』 レビュー ■
ルー・シュエチャン・インタビュー 『わが家の犬は世界一』 ■
ワン・シャオシュアイ・インタビュー 『ルアンの歌』 ■

 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp
 


copyright