――この映画の導入部では、ジャンと妻が最後のセックスをして別れるドラマとバラバラ殺人が騒ぎを巻き起こしていくドラマが、並行して描かれます。しかもそんな構成のなかで、ジャンに抱かれる妻の手首と、ベルトコンベアで石炭とともに運ばれていく切断された手首の映像が交錯します。
さらに、ウーが刑事たちと向き合い、夫の訃報に接する場面も印象に残ります。彼女は手で顔を覆って泣き続けるため、私たちには顔が見えません。それはもちろん、ウーの顔がはっきり映し出される瞬間を際立たせる役割を果たします。しかしこの場面には、別の意図も感じます。最初に映し出されるのは、ウーのすらりと伸びた足で、映像が切り替わっても、彼女が顔を覆っているために足が目立ち、死に関わる場面でありながら、妙にエロティックに見えます。
あなたは、この死とエロティシズムの結びつきをどのように考えていますか。
「死と性の関係というのは、硬貨の裏表のように非常に興味深いものです。これらの主題については、すでに日本のいろいろな監督が表現しています。特に大島渚監督の『愛のコリーダ』のなかで語られています。私は死と性は常に一緒にあるものだというふうに思っています。性と暴力が引き離せないのと同じです。私にはうまく説明できないのですが、本能的に死と性というふたつの要素を同時に表現しようとしているような気がします。おそらくこれは人間が誰しも死に対する恐怖というものを持っていて、その恐怖に対して私たちを慰めるようなものとして性が出てくるのではないでしょうか。また、性という状況において死を迎えるということは、カーニバルのような感覚でもあります」
――この映画の時代は、1999年の夏と2004年の冬に設定され、季節の違いが見事なコントラストを生み出しますが、1999年と2004年に設定したことにはなにか特別な意味があるのでしょうか。
「始まりを1999年に設定したことについてですが、当時はDNA鑑定ができる施設が北京にひとつあるだけで、まったく普及していませんでした。地方で事件が起こって、それが必要な場合には、個人が1万元とか2万元という多額の費用を負担して鑑定に出さなければならず、そんなことができる家族もなかなかいなかったので、冤罪が多発しました。しかし99年以降、DNA鑑定が徐々に普及し、冤罪が減少していったという背景があります。
実は最初の設定は99年ではなく、89年にしていました。89年というのは天安門事件が起きた時期で、それなりに意味を持つ面白い設定だと思っていたのですが、あまりにも政治的な意味合いを持たせてしまうと焦点がぼやけ、結果的にはよくないのではないかと思い、99年に設定をしなおしました。それに89年をどういうふうに見るかということについて、映画監督としてまだ明確な答を出せていないのに、安易に批判してしまうことは控えなければいけないとも思いました」
――最後に、次回作についてはどのような構想を持たれているのでしょうか。
「だいたいの考えは頭のなかにあるのですが、まだ具体化してはいません、いちばん撮りたいテーマが自分のなかに降りてくるのを待っているような状態です。たぶん、悪人とかグレーゾーンにいる人物が出てくる作品になると思います」 |